いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

風船の犬膨らんで北塞ぐ(あ)

水墨画の模写が一段落して、さて次は何を描こうか迷っている。引き続き水墨画を描くか、それともまた淡彩画に戻るか。
水墨画に彩色するという手もあるが、それをするのに適当な手本を見つけられないでいる。どうせ彩色するのだったら再び淡彩画に戻る道もあり、淡彩画(水彩画)なら手本はたくさんあるので、それらで独学を再開することはできる。
で、要するにお前は何をやりたいのだと、このブログを書きながら自分に問うてみる。すると、「風景画をうまく描けるようになりたい」との自答が浮かび出る。
描きたいモチーフは定まっているが、それを水墨画として描くのか、淡彩画として描くのか、描き方としてどっちが自分に合っているかが定まらない。それで迷っている。
油絵はあり得ない。描くなら水墨画か淡彩画かの二者択一になる。鉛筆画という手法にも魅力を感じたりもするが、あれもこれもと手を染めるとどっちつかずの中途半端に終わりそうな気がして、今は選択肢から外している。あくまでも水墨画か淡彩画か、だ。
この夏、淡彩画から水墨画に変えてみたのは、水墨画で学んだ技術を淡彩画にも応用できないかと考えたからだ。それでしばらく水墨画に取り組んでみて、ああやっぱり水墨画と淡彩画は描き方が基本的に違うんだな、水墨画水墨画でしか描けない世界があり、淡彩画は淡彩画でしか描けない世界があるんだと感じ出していた。
ここまで考えて、そもそも老後は絵を描くことを趣味として暮らしたいと思うようになったきっかけは、市の図書館でトレバー・チェンバレン(英)の水彩画集を目にしたことにあったと気づいた。そうだ、あの時は、絵を描くならこういう絵を描きたいと思ったのだった。
その気持ちを確かめるために、もう一度図書館に行って、トレバー・チェンバレンの絵にじっくり向き合ってみよう。
とまあ、こういう結論に落ちるとは思わずブログを書き始め、考えながら書き進めているうちにこの結論にたどり着いた。これもまたブログの効用。ブログを書いているとだんだん頭の混沌が整理できてもくるのです。

【写真】クラスの子からもらったバルーンアート

f:id:jijiro:20171211084820j:plain

先週金曜の「ふれあいタイム」で作ったバルーンアートを、その日の帰りの会が終わってから1年の子が「これ、あげる」と言って私にくれた。「家に持って帰らないの? せっかく作ったんだから、家に持って帰ってお父さんお母さんに見せれば?」と言ったら、「いい」と言う。
その子の家は牧場を営んでいて、朝5時に起きて家の手伝いをしてから登校すると言っていた。家が学校から遠いので通学には路線バスを使う。路線バスといっても、ほぼスクールバスみたいなもので、運行は通学時間帯の限られた数本のみ。
このバスは小学生も利用する。この前、日本サイクルスポーツセンターのベロドロームで行われた「ジャパンパラサイクリングカップ2017」の公開練習を見に行った時、帰りの貸切バスで一緒になったクラスの子の家が山一つ向こうにあると聞いて(担任がクラスの子にそう説明していた)驚いたことがある。
スポーツセンター入口にある山里には、かつて小学校の分校があったが、少子化に伴って分校は廃校になり、そこの里の子たちは麓の小学校まで路線バスを使って通学することになった。そして、どのみち中学校は麓の町にしかないから中学生になっても同じバスを使って通学している。私にバルーンアートをくれたのも、毎日そのバスを使って通学する子である。その子がバルーンアートを持ち帰りたがらなかったのは、袋をぶら下げて帰りのバスに乗るのが嫌だったのかもしれない。

【温泉】あやめ湯。

【タイムラプス】12月11日(月)6:26〜7:48の伊豆長岡の空。20秒。

【歩数】4,168歩。