いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

萩月の旅牛タンを食みて閉づ(あ)

夏の呑兵衛旅行3日目。

日本こけし館↓

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こけし」といえば鳴子、くらいの知識しかなかったが、「こけし館」を見学して、形、表情によって様々な系統があることを知った。資料のパンフレットによると、青森の津軽系から福島の土湯系まで11系統あるという。

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こけし館へ行く途中の道から切り立った岩壁が見えていたが、そこが鳴子峡の断崖絶壁だったとは鳴子峡へ行って見て判った。この下を陸羽東線が走っている由だが、レストハウスの展望台からだと鬱蒼とした緑に覆われて線路も渓谷の流れも見えない。紅葉の季節にはさぞかし綺麗に色づくのだろうが、再び鳴子峡を訪れることはたぶんもうないだろうな。

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藩祖・伊達政宗、二代藩主忠宗、三代藩主綱宗の御霊屋をぐるり見て回る。瑞鳳殿に隣接する資料館には昭和20年の空襲で焼失した三代の御霊屋から発掘された遺骨や副葬品が展示されていて、そこはさっと見流して済ますつもりでいたが、結構見ごたえがあり長く見入ってしまった。

「旨味 太助」(昼食)↓

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今年の呑兵衛旅行は宮城だと決まった時から、仙台での昼食は暗黙の了解で牛タンになっていた。それで旅行団の団長がガイドブックから見つけ出した店が「味 太助」。繁華街の立体駐車場に車を駐めて店に向かう途中までは、その店へ行く予定だった。
ところが、駐車場を出た同じ通りの向こうとこっちに「太助」と名のつく店が二軒ある。一軒はガイドブックで見つけた「味 太助」、もう一軒は「旨味 太助」。看板に「旨」の字が有る無しの違い。
それで、入った店は「旨味 太助」の方。瑞鳳殿の資料館を出たところでパラパラ落ちてきた雨が、店を探しているところで本降りになり、どっちも「太助」なら駐車場に近い方がよかろうと「旨味 太助」を選んだ。
時計は午後1時を回ったあたりだったが、店内は家族連れのお客さんで混んでいた。どのテーブルも、仙台へ行ったら牛タンだべの観光客とお見受けしたがどうだろう。
店のお品書きに挟まって、同じ「太助」を名乗る他店とは関係ない旨を記した能書きがあった。どうやら親族関係が何かしらの事情でそれぞれ別に店を出すことになったらしい。先代が築き上げた店の相続問題のもつれといったところか。店が有名になればなったで、いろいろと煩わしいあれこれが生じるようです。
私は牛タン定食を食べるのは初めて。で、A定食(牛タン4枚)を注文。1,500円。満腹ちょっと手前くらいの程よい量でした。
今日の牛タンはカナダ産と壁に大きく表示してオープンにするあたりは割と良心的な店という感想。どこ産であろうと、受け継いだ味付けには絶対の自信があると誇示しているかのようだ。
旅行から帰って、「太助」のことを改めてネットで確認する。
初代店主・佐野啓四郎氏が平成6年に他界し、同店を長男・佐野和男氏が引き継いだ。これが現在の「味 太助」。一方で、佐野啓四郎氏の弟子の佐野八勇氏が啓四郎氏の娘と結婚し婿養子となって「旨味 太助」を立ち上げた。師弟関係で言えば八勇氏が和男氏の兄弟子に当たり、よって「太助」の元祖は「旨味 太助」だと主張する理由はそのあたりにあるらしい。
まあ、単に牛タンを食する側とすれば、そんな内輪揉めはどうでもよく、安くて旨い方に軍配をあげたい気持ちに変わりはないのであるが。

【歩数】9,613歩。