いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

行く夏や硫黄の湯気に祖母の顔(あ)

夏の呑兵衛旅行2日目。


ホテルの部屋から見る朝日↓

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昨夕と同じ場所から見た景色だが、今日は絵心は動かなかった。自分のわがままで仲間に迷惑をかけたくないという気持ちがどうしても働いて、とても絵を描く気になれないのです。


船で松島遊覧↓

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午前9時出船の遊覧船に乗る。2階はグリーン席で+600円の別料金。船内のアナウンスによると、先の東日本大震災で岩が崩れ落ちた箇所が複数ある由。


遊覧船から見たホテル↓

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海上から見上げると横に長いホテルだったんだと判る。たまたま私たちが泊まった日はホテルで大勢のインターンシップを受け入れている期間と重なり、そのうち、私たちの夕食テーブルを担当した人が、小さい頃に横浜に住んでいたことがあると知った。しかも通っていた幼稚園が呑兵衛仲間の一人が今住んでいる場所にとても近いと判り、なんだそうだったか世間は狭いと、俄かに場が盛り上がったことだった。


五大堂↓

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呑兵衛ランナーがここの売店で、笑い転げる猫の縫いぐるみにやたら興味を示し、敬老の日に87歳になるお母さんにプレゼントするんだと言って買い求めていた。敬老の日以外にも、誕生日、母の日、お盆には必ず実家のお母さんを訪ねてプレゼントするという、私と真逆のとても親孝行の呑兵衛です。


石巻日和山公園からの眺め↓

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ここには、東日本大震災の前の街並みのパネルが展示され、それらと見比べて現在の様子を見下ろせる。

北上川の中州に建てられた石ノ森萬画館のドームを見ながら、あそこは建物がドーム型だったことが幸いして津波に流されなかったのかなと呑兵衛ランナーと話をしていたら、散歩の途中といったふうのおじさんがつかつかと寄ってきて、「あの建物の真ん中に窓があるでしょう、津波はあそこまで押し寄せたんです」と教えてくれた。

それを端緒に、その人の説明がそれから30分ばかり続いただろうか。気づいたら呑兵衛旅行のメンバー全員がその人をぐるり取り囲むような形で、あの時の石巻を襲った津波の話に聴き入っていた。

その人の話は実際に震災を目の当たりにした人ならではの臨場感に溢れ、語られる一つひとつの話の重みがぐさぐさと伝わってきた。話し方がとてもうまく、時間が許せばもっともっと聴いていたかった。

聴いた中で私が特に印象に残ったのは、最初の揺れから津波が押し寄せてくるまでの1時間の間も、近所の人は余震に怯えながら、家の外に出て立ち話をすることで互いに安心し、ために高台への避難が遅れて津波の犠牲になった、というものである。

そこには、パニックになった時の人間の心理が如実に表れているように思う。とかく人間は、自分でどうしていいか判らなくなった時は、誰かと一緒にいて安心したがるものらしい。


森林科学館↓

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呑兵衛旅行団の団長のお知り合いが所長を務めている県営施設を訪問した。所長は元神奈川県の高校教諭で、団長とは組合活動で知り合ったという。

石巻から奥羽山脈の奥へ向かって車を走らせ、その先へ行ったらUターンできないくらいの狭い山道になる手前に施設はあった。

あちこちにクマに注意の貼り紙があり、訊いたらこの辺りにクマが出るのはちっとも珍しいことではないらしい。所長は、この前も道を横断するクマに出くわしたと平気で言う。地元の小学生が体験教室に来た時に、クマと出くわしたことがある人は手を挙げるよう訊いたら、全員が手を挙げたという。それだけクマが多く棲むところだということですね。いくら自然の中で暮らすのが好きだといっても、私はクマが普通に出没する地に住む気は毛頭ありません。


鳴子温泉「鳴子ホテル」↓

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ホテルに近づいたら硫黄のにおいがぷんとした。幼い頃、祖母に連れられて行った酸ヶ湯温泉(青森)のにおいを思い出した。


【歩数】7,763歩。