いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

面影は年々淡く花芙蓉(あ)

【写真】芙蓉。

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家から急坂を下りきった五叉路に昔ながらの赤い郵便ポストがある。そのポストの左脇に白いムクゲ、右脇に芙蓉が咲いている(ムクゲと芙蓉は花の形が似ている)。
もともとここは旧下田街道の一本道が通っているだけで、後から駿豆線の踏切を渡って田中山へ抜ける道が交差し、さらに立花地区が別荘地として開発された際にできた急坂が交わって五叉路になったと考えられる。
今朝はカミさんに買い物を頼まれ、孫二人を連れてコンビニまで出かける時にここを通った。「郵便ポストの左側に咲いているのがムクゲ、右側に咲いているのが芙蓉だよ」と孫に教えるが、孫はコンビニでアイスを食べることで頭がいっぱいで、花なんかどうでもいいといったふうだった。孫たちが大きくなって、いつかこの花を見たとき、あの時じいじが言っていたなあと思い出してくれたら嬉しいけど、たぶんそんな日は来ないな。
コンビニではカミさんから頼まれた朝食用のハムとチーズと卵を買い、孫二人にはアイスを買ってやった。好きなのを選びなさいと言ったら、二人とも同じスーパーカップを選んだ。それをコンビニのカウンターで食べさせる。が、量が多いためにアイスがなかなか減らない。
そのうちアイスが溶け出して、トロトロかき混ぜるくらいまで柔らかくなったところで、お兄ちゃんが「もう要らない」と言ってカップを私に渡した。私はヘラで掬えなくなったトロトロを口に流す。孫娘も右倣えで私にカップを預けるかと思いきや、こっちはしっかり最後まで平らげた。一気に冷たいものを食べてお腹を壊さなければいいがと心配したが、その心配には及ばなかった。孫娘の胃は日頃から丈夫に鍛えられているらしい。
孫娘が平らげたカップをゴミ箱へ捨てるのを見届けて、「さあ、ばあばが待ってるから帰ろ」と促してコンビニを出る。そして郵便ポストの五叉路まで戻ったところで、角の家の門を入ったところに一匹の子猫を見つけた。
猫はいろんなところで見かけるが、子猫は珍しい。「わあ、子猫だ」と反応したのは孫娘。「かわいい〜」と言って勝手に門の中に入って行く。そこへお兄ちゃんが、いつの間にか手に猫じゃらしを持っていて後に続く。と、敷地奥の納屋からおばあさんが声をかけてきた。一輪車に農具を積んで、これから畑に出かけるところらしかった。「よかったら連れてってもええよ。この前、野良猫が家の裏で5つ産んでな(5匹と言わず5つと言った)、後4ついるら」。
孫娘が私の顔を見る。連れて帰ってもいいかと許可を求める顔だ。もちろん却下。お兄ちゃんは茂みの下に隠れた子猫をおびき寄せようと、猫じゃらしをちょこちょこ動かしいている。こっちは別に飼っても飼わなくてもいいようで、孫娘に同調する様子はなかった。
おばあさんが一輪車を押して門に近づいてきたところで孫二人は門の外へ出てきた。おばあさんは門を出てもまだ子猫をもらってくれと言っていたが、私は丁重にお断りした。一緒に坂を上り始める頃にはさすがの孫娘も子猫を飼うのは叶わぬ望みと諦めたようだった。
私は坂をゆっくり上りながら童謡♪七つの子♪の意味を考えていた。この童謡は野口雨情の作詞として世に広く知られるが、かつて「七つ」が「七羽」なのか「七歳」なのかが論争になったことがあって、未だにその結論を見ていない。思えば、どっちとも取れる、あるいはどっちでもない不思議な歌である。
今朝のおばあさんは子猫の数を5つと言った。これは明らかに5匹の意だが、野口雨情の場合はどうだったんだろう。意味不明な童謡が子どもたちに歌い継がれる不思議。学校では「七つの子」の意味をどう教えているのだろうか。大人の取ってつけたような不明な解釈よりも♪カラスなぜ鳴くの カラスの勝手でしょ♪の替え歌の方が子どもたちにはすんなり受け入れられるのかもしれない。

水墨画】パンジー(No.12)

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花の部分の暗色の模様はうまく濃淡で表現できたと思うが、同じ濃さの墨でスジも描いたため、スジの線がやたら目立って失敗。バカボンのパパの鼻毛みたい。濃淡の微妙な加減がまだ使い分けられないでいる。

【あやめ湯】18:35〜19:08

【タイムラプス】8月6日((日))4:49〜6:20伊豆長岡の空。22秒。

【歩数】3,064歩。