いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

神輿子に氷菓配れる角の家(あ)

ブログは基本的に毎日書く。
毎日書くから日記みたいなものだが、読者は私以外にネットの向こうに複数いることを意識して書いているから、そういう点では私的日記とはちょっと違うと思っている。
習慣とは恐ろしいもので、毎日書いていると、孫の世話などで書く時間が確保できなかったりすると、書けなかった日のことが気になって仕方がない。どうせ大したことなんか書いてないんだから、一日二日穴を空けたって誰も咎めやしない、のだが、そうは判っていても、やはり穴を空けると、自分にとって大事なことをやり残した感じが付きまとうのです。
この一週間はその思いがずっと付きまとっていた。7月30日(日)午後〜8月2日(水)午前まで孫の面倒を見ることになり、ためにブログを書く時間がなかなか取れず一日遅れのアップをカバーするのに今日(8/5)までかかった。今日、二日分をまとめアップし、ようやく気持ちが落ち着いた。
なんだかなあ。ブログの前に孫の世話でしょう。それなのにブログを書けないことを孫の世話のせいにするなんて本末転倒でしょう。そう思わないではないが、でもここまで続けてきたら今更やめるわけにはいかないという気持ちも、確かに私の中にはあるのです。ほとんど病気ですね。この病気はたぶん死ぬまで治らないな。

【写真】子供神輿のアイス休憩。

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地区の夏祭りでは子供神輿が練り歩く。子どもたちの神輿を担ぐ元気な掛け声が聞こえて来たところで、神輿が通る道の角まで孫娘を連れて見に出た。神輿は私の家の前は通らない。
道の角で神輿の到着を待っていたら、ちょうど前の家から出て来た奥さんと目が合った。互いに「こんにちは」と挨拶する。と、奥さんの手に白いものが見えた。祝儀袋だ。どうやら子ども神輿が通る時は各戸でご祝儀を渡すしきたりらしい。しまった、そんなことも知らずに手ぶらで道に出てしまった。
直ちに家に戻って祝儀袋を用意しても恐らく間に合わないだろう。というか、包む額の相場も判らないから用意のしようがない。ここは退散して来年また出直そう、で、看板氏にでも包む相場を聞いておこうと思い、孫娘の手を引いてすごすご家に引き返そうとしたら、背後の家からおばあさんが出てきた。手にはやはり祝儀袋を持っている。さらにスーパーの買い物かごのような入れ物にアイスの箱をしこたま入れて持っていた。
神輿の子どもたちにアイスを振る舞おうというのである。そのために何人通るとも読めない子どもたちの分のアイスを凍らせて待っていたのだ。子どもたちは20人はいたろうか。子供会の世話役はそこで休憩を命じ、しばしアイスの休憩タイムとなったところで私と孫は家に戻ってきた。
そのことを家でくつろいでいたカミさんに言うと、昔は追浜(横須賀市)の町内夏祭りでも同じようなことがあったと言う。子供神輿が通ると家々からお菓子とかもらえたらしい。今も昔ながらの子供神輿の伝統が追浜に残っているかどうかは判らないが、少なくとも伊豆のこの地区では昔ながらのしきたりが未だに残っている。地域全体で子どもの成長を見守る文化が色濃く残っていて好もしい。

水墨画】双鶴(No.11)

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鉛筆であらかじめあたりをつけておいて、それをなぞるようにして墨で線を引く。だから、描いた線に勢いがない。水墨画の描き方としては邪道なのだろうが、淡彩画を経た身としては、慣れるまではそういう描き方もありだと自分に言い聞かせている。

【タイムラプス】8月5日(土)5:25〜8:21の伊豆長岡の空。21秒。

【歩数】3,730歩。