いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

花火の間継いで出湯の夜景かな(あ)

学童保育の手伝いをして2週間が過ぎた。

一緒に遊んでいて去年と違うと思ったのは、本将棋を指す子が多くなったということである。去年は「先生、将棋やろ?」といえば「回り将棋」のことだったが、今年は「本将棋」の意に格上げされた。だから普通に将棋といえばどっちのことか判らない。それで子どもたちは本将棋のことを「ほんしょう」と言い、周り将棋のことを「まわしょう」と呼ぶようになった。

将棋盤と駒は5セットある。3月の予算執行ギリギリで2セットを加えた。その5セットが今年は常にテーブルに出される盛況ぶりである。

際立つのは新1年生に本将棋を指せる子が複数いるということ。そんな子は去年は一人もいなかった。また、去年は回り将棋しかやらなかった子が、今年は本将棋を指すようになったこと。駒の動かし方は初心者ながら、私に負けて悔しがるところは今後大いに期待が持てる。どうかこれからもどんどん本将棋を指して腕を磨いて欲しいと思っている。

将棋に対して囲碁の方はさっぱりだ。私が去年の夏、囲碁の輪を広げようと13路盤と19路盤を厚紙で作り、碁石も本格的なやつを2セット用意してみたのだったが、私の教え方が悪いせいもあって、輪はなかなか広がっていかなかった。

今年行ってみたら囲碁セットは去年と同じところに置かれてあったが、「囲碁やろうか」という私の誘いに乗ってきたのは、現4年生の女の子1人だけだった。今は私も自由時間ともなれば将棋に模写にと声をかけられ、一人だけ乗ってきた女の子ともほとんど囲碁をやれなくなってしまった。


【写真】伊豆長岡の花火。

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昨日は「韮山狩野川まつり花火大会」(約3,500発)で今日は「伊豆長岡温泉戦国花火大会」(昨年実績4,035発)。名称は異なるが、花火が打ち上がる場所は同じ。だから、写真は今日の花火だけ載せる。

伊豆の国市に合併になって12年になるのに祭りの主催は未だに旧町名にこだわる。肌に馴染むのは、どうしたって昔ながらの土地柄を反映する呼び名であるのは仕方がない。伊豆に移り住んで、同じ伊豆の国市でありながら、旧町の韮山町、伊豆長岡町、大仁町に昔から住んでいる人の微妙な温度差がなんとなく判るようになってきた。


水墨画】花菖蒲(No.10)

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これも鉛筆であらかじめ下描きをしている。そうしないと全体のバランスが取れない。仕上げに鉛筆の線を消しゴムでトントンと叩くようにして消している。これを下描きなしで直接墨を入れたら、画仙紙なんて百枚あっても足りないだろう。


【水晶苑】15:25〜16:28。

午前勤務で家に帰り、少し横になってから水晶苑に出かける。行くと看板氏と浮橋氏が風呂場で細野豪志の新党結成の動きについて意見を交わしていた。私はブログでは政治に関して一切語らない姿勢を貫いてきた。それは今後も同じ。選挙権を持つ以上、政治に関心がないわけではないが、選挙権を持つ以上の興味関心は持たない。さりげない日々の幸せを愛おしみ、自然と共に暮らしていければそれでいいと思う人なのである。

浮橋氏はこのブログに初めて登場する人だが、知的な雰囲気を漂わせる不思議な魅力を持った人である。浮橋という呼称は田中山を越えた向こうに広がる盆地の地区名で、浮橋氏はその地の人らしい。

最初に浮橋氏を知ったのはアマデウス3時半氏が出る演奏会に行った時である。その時、アマデウス氏が「向こうのいちばん前の席に座っている人は◯◯さんと言って、浮橋に住んでいる人です。同じ時間にお風呂でよくご一緒になります」と紹介してくれた。◯◯さん、と名前を教えてもらったのにそのそばから名前を忘れてしまい「浮橋」の地区名だけが記憶に残った。

いつかアマデウス氏と浮橋氏がベルリンフィルの演奏がどうのこうのという話をしている時に、私はベルリンでその演奏をよく聴いたと浮橋氏が言っていた。

ベルリンに住んでいたことがあると? 同じクラシック曲でも指揮者によってまるで違うように聴こえると耳の肥えた人は言うが、浮橋氏ももしかしてその類の人なのかな。ベルリンにいたことがあるということは、外資系の会社にお勤めの方だったんだろうか。年恰好は70前後といったところか。

ベルリンフィルの話を耳にして以来、浮橋氏は私にとってどこか知的などこか不思議な人となった。


【タイムラプス】8月4日(金)5:05〜7:09の伊豆長岡の空。30秒。

https://www.facebook.com/aisakajiro/videos/10213884288043537/


【歩数】2,788歩。