いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

先生とまだ呼ばれてる土用次郎(あ)

【写真】学童保育前の花壇。

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右側の小学校校舎には足場がかけられ、只今外装修繕中。米朝氏の話だと、この工事の一部を、あやめ湯で知り合ったスキンヘッド氏の息子さんが請け負っていて、スキンヘッド氏本人もよく顔を出すのだとか。米朝氏はスキンヘッド氏のことを「タコさん」と呼んでいたが、それは二人が焼肉を食いに行ったりカラオケに行ったりする間柄だから言えるのであって、さすがに私はそうは呼べない。

水墨画】白梅(No.2)

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水墨画の墨の濃さには、濃墨、中墨、淡墨の3種類あって、濃墨は硯に残し、中墨と淡墨は専用の皿を用意するのが普通。ところが、横着こいて昨日描いて余った墨を硯の丘で磨り直し、海の墨が淡墨、丘の墨が濃墨でいいだろうと思ったら、よくなかった。側筆で描いたつもりの枝が片ぼかしが出ずに単調な線になってしまった。横着しないで、やはり基本に忠実に描かないといけません。ましてや初心者なんだから。
水墨画になってから紙は画仙紙(ハガキ大)を使っている。この画仙紙は文具スーパーで安売りしている時に買ったのだったか。だいぶ前のことなので忘れた。その時に買ったのが20枚ほど残っていて、今はそれを使って描いている。
これから本格的に水墨画を学ぶとなると、画仙紙はかなりの枚数が必要になりそうだ。水墨画は一度描き損じたら描き直しができない。失敗したら新しい画仙紙に最初から描き直すことになる。実際に前回の「竹」と今回の「梅」を描くのに3枚描き損じた。
こんな調子で画仙紙を使っていたら画仙紙がいくらあっても足りない、書道半紙は大量にあるからそれを使って練習しようと考えて、実際に半紙に描いてみたが、墨の滲み具合がまるで違う。半紙と画仙紙とではこんなにも違うものかというくらい違う。水墨画はやはり画仙紙でなくてはいけないと思い直した次第。
だが、この画仙紙がまた厄介で、種類がたくさんありすぎてどれを使用していいものやら皆目見当がつかない。手当たり次第に試しまくることができればいいが、それだけの金銭的余裕もない。しばらくは廉価な画仙紙で試行錯誤を繰り返していくしかないのかな。

【あやめ湯】18:05〜19:13
久々に米朝氏と会う。風呂場で一緒になったのではなく、外の縁台で。
午後6時1分に職場のタイムカードを押してあやめ湯へ行くと、外の縁台に座って米朝氏と、あやめ湯から路地を一軒奥に入ったホテルの女性従業員と番台のおじちゃんの3人で四方山話をしていた。
ホテルの女性従業員は駐車場係の人で、あやめ湯の真ん前がホテルの駐車場になっているから、予約の車が到着するまでの間、縁台に腰掛けて米朝氏の話し相手になっていることがよくある。
今週から学童の手伝いをしていることを告げ、番台のおじちゃんの後に次いで暖簾をくぐる。
風呂場へ下りると、いちばん奥の洗い場に元饅頭屋さんの背中が見えた。隣の洗い場に並び「お久しぶりです」と挨拶し、その時はそれだけで終わったが、湯から上がって外へ出たら縁台にまだ米朝氏がいて、今度は元饅頭屋さんと話し込んでいた。話題は西伊豆テングサの話。何となく素通りできない雰囲気があって少しばかり立って話を聞いていたら、元饅頭屋さんが腰をずらして私に座る場所を作ってくれた。いよいよ帰れなくなって会話に加わる。
話題はテングサからアジの干物になり、米朝氏は、宇久須の◯◯という干物屋のアジは旨い、下田の干物屋は老夫婦でやっていたが婆さんが死んじまってからアジが落ちた、沼津産のアジと言っているが、あれは真夜中に九州から運んで来たアジを沼津産にして売っている、由比のアジなんかは桜えびを餌に食っているから他のアジとはまるで味が違うだよ、などとまことしやかに言うから面白い。
その後話題は地元の旨い蕎麦屋に移り、韮山の、元長岡温泉旅館の板前がやっている蕎麦屋は旨いという話を元饅頭屋さんから聞いてお開きとなる。
韮山蕎麦屋は初めて聞く名だ。お寺さんに行く手前にあるという。どこだろう。うっ、これは行ってみたくなったぞ。

【タイムラプス】7月27日(木)5:21〜7:43の伊豆長岡の空。35秒。

【歩数】2,544歩。