いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

炎昼に友の忘れし本を繰る(あ)

【写真】熊本のやつが忘れていった本。

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土曜に行われた大学の体連幹事会の呑み会に熊本のやつが持参した本。自分も執筆しているので紹介すると言ってバッグから取り出し、どうせお前らは買って読まないだろうと言いながら呑み仲間に回したのだが、その本が家に帰ったら何故か私のバッグの中に入っていた。

目次を見ると、執筆者は全部で10人。そのうちの一人が大学で共に体連幹事をやった奴だった。古書店主として執筆している。タイトルは「古書店主の震災日記」。

日記は4月14日(木)から書き始められている。もちろん、最初に大きな揺れが熊本を襲った日である。

「飛行機を降り、駐車場を出たのが九時二五分頃。市内に向かっていたところ、免許センターを通り過ぎた辺りで、大風でハンドルを取られたように大きく車が横に振られた。何だろうと思った瞬間、前方の熊本市街地が、打ち上げ花火が失敗したかのように一面、パッパッパと光った」

そして、二度目の大きな揺れは2日後の4月16日(土)の深夜に来た。

「四月十六日(土)晴れ、二回目の地震は倍の揺れよう」。他の日記は日付と天気がゴシック体なのにこの日だけは「二回目の地震は倍の揺れよう」までゴシック体になっている。

当初はこの日の揺れを余震と気象庁は発表していたが、規模が最初の揺れを上回る大きさだったので、後に16日の揺れを本震とし14日の揺れを前震と発表し直した。

日記は地震発生から半年後の10月16日まで毎日記されている。この本に掲載された日記の最後のページに、編者注として、「◯◯さんが日記を書き始めたのは、二〇一六年四月一四日の前震の日からだ。日記は初めてだったが、『書いておかねば』という気持ちが自然と湧いたという。地震はそれほどの衝撃だった」とある。

彼は今も日記を書き続けているという。それはあたかも地震で生き残った人としての責務でもあるかのように。

彼の話を聞く限り復興は遅々として進まない様子。シンボルの熊本城が元の姿に戻るまでには後30年はかかるだろうと読む。城下の繁華商店街の会長でもある彼は、熊本復興にこれからも全力を注ぐと鼻息も荒い。

一方こちらは今や悠々自適の趣味に時間を費やす身。後ろめたい気持ちを引きずりながら、まだまだ現役で飛び回る彼に敬意を表し、まずは健康第一で活躍することを祈ろう。そして、来年もまた元気な顔を見せてくれることを願おう。


【淡彩画】白鷺(No.128)

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ポイントは「雨の日なので森や池を暗く描き、削り出しの方法や白い絵の具も効果的に使えるようにする」こと。

「削り出し」という手法があるとは知りませんでした。白鷺は背景を塗った後に、カッターの刃先で紙を削って表したのだそうで、それで羽毛をささくれた感じに見えるようにしているのだと。

今回、私はカッターを使わなかったけど、そういう手法があるのだと知っただけでも勉強になった。カッターは使わずに細い筆毛をパサパサにしてポンポンと点描した。


【水晶苑】13:14〜15:59

建材氏と白番で2敗、黒番で1勝のトータル1勝2敗。やはり建材氏とは、どうしても大石の生き死にをかけた大一番になる。

我々の対局をちらと見た白髭氏が、「珍しい碁を打つねえ」と言ったものだ。

それは私のことを言っているのだとピンと来た。私と白髭氏が対局した時とまるで違う、石をベタベタとくっつける碁になっていることを言っているのは明らかだった。相手が2線をベタベタ這うから私もベタベタ上から押さえつけただけなのだが、私も打ちながら、これは碁を覚えたての初心者の碁だとは感じていた。それを白髭氏は、(私にしては)珍しい碁を打つと言ったのだ。

恥ずかしい碁を見られてしまった。挑発に乗ってしまったとはいえ、ああいう碁を打ってはいけない。いつも、見られても恥ずかしくない碁を打たなくてはいけません。


【タイムラプス】7月10日(月)7:34〜9:13の伊豆長岡の空。24秒。

https://www.facebook.com/aisakajiro/videos/10213617483253584/


【歩数】3,506歩。