いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

尊徳の田の面守るや通し鴨(あ)

小田原で孫の世話をする。
午前9時過ぎに孫の家に着いたら、孫はそれぞれの友だちと家の中で遊んでいた。お兄ちゃんは友だちと並んでテレビゲーム。孫娘は友だち二人と鬼ごっこ。これまでは兄妹二人で遊ぶシーンがほとんどだったが、ようやく兄妹を離れてそれぞれの友だちと遊ぶようになったんだね。
正午になって、遊びに来ていた友だちは帰って行った。それと入れ替わるようにカミさんが到着し昼飯となる。伊豆から持参した手作り梅シロップを炭酸水で割って孫に飲ませたら、これが思いの外好評で、あっという間にボトル半分になってしまった。リンゴ酢をレシピの量より多めに入れて、果たして孫の口に合うかどうか心配したが、特に問題なく飲んでくれたので結果オーライ。
炭酸水がなくなったので孫娘を連れて近所のスーパーまで買いに行く。孫娘は手にカミさんが買って来たポップコーンの袋を持っていた。私が「じいじにも少しちょうだい」と言ったら、やだと断られた。「じいじは糖尿病でしょ? だからポップコーンは食べちゃいけないの」と判ったようなことを言う。いつ糖尿病という言葉を覚えたんだ?
夕方、ママが仕事から帰って来て、その疑問が解けた。昨日、ママが小林麻央さんの死去の報に触れて孫娘に話したらしい。「じいじも糖尿病だから、◯◯ちゃん(孫娘のこと)が大きくなる前に死んじゃうかもしれない」。
それを真に受けて、死んだら嫌だからと私にポップコーンをくれなかったようなのだ。孫娘に、死んだら嫌だからと思われて、それでこうして生きてある喜びを噛み締めていられることを幸せに思う。
昨秋、あるきっかけで小林麻央さんのブログの読者になり、病と闘う彼女の姿をブログを通じて見守って来た。アップされる写真があまりに痛々しすぎて正視できないこともあった。それでも懸命に笑顔を見せようとし、愛する人のために生きようとした。自分のためではなく愛する人のために。
今際の際の言葉は「愛してる」だったという。なんという清らかな言葉だろう。人は彼女の死を若すぎると言うかもしれない。しかし、愛する人のために懸命に生きようとしたその姿は、今、永遠となったのだ。これからも永遠に愛する人を愛し続けて行くだろう。

【写真】田んぼに群れるカルガモ

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孫たちが通う小学校前の田んぼ。小田急富水駅で下車し、孫の家まで歩いて行く時にこの田んぼの脇道を通る。
ここは二宮尊徳生誕の地として知られ、用水路が縦横に勢いよく流れる。尊徳が生きた江戸時代そのままの用水路であろうはずはないが、もしかしたら当時もこういう風景だったのかもしれないと思わせるような田畑が今も広がっていて、歩くとどこか懐かしい匂いがしてくる。
カルガモは小学校前の田んぼのコンクリートの畔に仲良く並んでいた。立ち止まってカメラを向けたら、3羽が回れ右をして背面の田んぼに飛び込んだ。なぜ顔を向けた田んぼに飛び込まなかったのだろう。カルガモは自らが食むべき水草を覚えているのだろうか。

【淡彩画】座っている人(No.112)

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ポイントは「ラフなスケッチなので線描を生かしてライブ感を優先し、着色も明暗を大まかに分ける程度にしてあまり塗り重ねない」こと。
今回から「風景の中の人」シリーズ。以前にも何回か風景の中の人物を描いたが、うまく描けたと思ったことは一度もない。
手本に「風景スケッチに人の姿を描き入れると絵に生き生きとした活気が生まれます」とあるが、文字通り人の形をした「人形」にならないように、いかにも息をしているような「人物」を描けたらいいと思う。

【歩数】8,013歩。