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いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

花筵孫に気兼ねの言葉尻

昨日(4/14)の夜、孫が伊豆にやって来た。

孫が伊豆に来るのは去年8月の狩野川花火大会以来だから8ヶ月ぶりになる。カミさんは横須賀から小田原まで孫を迎えに行き、夜の箱根を越えてやって来た。

私も小田原まで迎えに行くつもりでいたが、腰の痛みが退かず歩くのも容易じゃなかったので、カミさんには昨日のうちに「メッセージ」で、迎えに行けないと連絡を入れておいた。

小田原(栢山)経由で横須賀から伊豆までは3時間かかったと言う。お疲れモードだったので、後は私が孫の面倒を見るからとカミさんには先に2階で休んでもらった。私は6畳和室で川の字に孫と寝る。

それで今朝、そっと床を抜け出し、荷物の片付いた8畳洋室でブログを書いていると、5時半に下の孫娘が起きてきた。そうなるともうブログは書けない。起きてくる前に仕上げたかったが間に合わなかった。

「じいじ、遊ぼ」

「うん、何して遊ぶ?」

「習字をやりたい」

たまたま半紙の束を座卓に無造作に置いてあったのに反応したらしい。朝から習字かいと思ったが、自分で勝手に硯箱を運んできてやる気満々の構えを見せられるとダメとも言えない。

目で見てやる気を起こすのは大事なことである。私もいつでも絵を描くモードになるように、一日のうちでいちばん長くいる場所に絵の道具を置いている。水も、筆を洗う瓶にいつも入れてある。

本も、そう。以前は本棚の本を、その気になればいつでもどこでも読めるように「自炊」してiCloudに保存したが、皮肉なことに電子書籍だとなかなか読む気にならない。読む気にならないのは、実際に本を目にできないからだと思う。読む気モードになるには、いつでもパッと手を伸ばせる場所に本を置いておくのがよい。

さて、孫娘はこの4月で小学校3年生になった。硯箱を用意したはいいが、墨のすり方がぎこちない。見かねて手を出したらそのまますり続けるハメになった。どれ、手本を書いてやろうと筆を持ったら書かなくていいという。手本なしで何を書くのかと見ていたら、「朝」とか「豆」とか「早」とか半紙に一文字ずつ書いている。学校で習いたての漢字を思いつくままに書いているのかと思ったら、「(◯で囲った)丸」なんてのもある。何それと訊いたら、「さて問題です、これを並べるとどんな言葉になるでしょう」だって。なるほど、習字が遊びになっている。子どもの描く世界ってとっても不思議。子どもは全てを遊びにしてしまうんだね。

ちなみに、この問題の答えは自分でも用意できていなかったみたい。私に答えを考えさせて、それをもって正解にしようとするあたり、結構したたかに成長しています。

一方、5年生になったお兄ちゃんは、既に起きて布団の上でテレビゲームをしている。去年からテレビゲームにハマり、寝ても覚めても延々とゲームをやっている。ガンダムの時もそうだったが、一つ凝りだすとご飯を食べる時間も忘れてしまうくらい熱中してしまうタイプ(誰に似たんだろう)。集中力はありそうだけど、そのエネルギーがいい方向へ向かってくれることを切に願う次第です。(あ)


【写真】孫の花見ごっこ。場所は向かいホテル(ただいま休業中)の従業員駐車場。

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花を愛でる心は、老若男女いつの時代も変わらないみたい。私も誘われて一杯、天城の水をぐびっ。


【歩数】3,082歩。