いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

思ひ出の濃き一葉や春の昼

【写真】テレビに出た習字作品。

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引越荷物を整理していたら、なんとも懐かしいものが出てきた。私が小学校3年生の時に学校で書いた習字である。

大きさはハガキの長辺を1cmほど切った大きさで、グレーの背景に白で私の名前が横に添えられてある。何気なく指で触ったら少し盛り上がっている。それで初めて気づいたが、その白い字は明朝体の手書きだったのである。

たかが1枚の児童の作品をテレビに映すのに、これだけの手間暇をかけているのに驚いた。

裏には「あなたの作品が2月7日テレビで放送されました。これは放送に使われたカードです。記念にお贈りします。昭和38年2月7日  青森放送社長 坂本一義」とある。

半紙に書いた本物はたぶん捨ててしまったと思うが、放送に使われたカードは残っていた。

青森の実家が解体されることになって、思い出の写真を私がパソコンに保存する際に、藤沢に運んできた箱のどこかに紛れ込んでいたらしい。巡り巡って今は伊豆の家にたどり着いた。奇跡としか言いようがない。

たった一枚の写真(この場合はカード)から、たちどころに当時が蘇ることがある。私は荷解きの手を休め、小学校3年生だった当時のことに想いを馳せた。

私の通っていた小学校は前年の3月に校舎が火事で焼けている。校舎は全焼したが、かろうじて体育館だけは焼け残った。その焼け残った体育館を仕切って仮設校舎とし、3年生の仮教室は体育館ステージ裏の物置があてがわれた。そこで書いた習字がテレビに出たのである。

火事があったのは3月21日。なぜその日を知っているかと言えば、その日は春分の日だったからである。学校は休みで、私は近所の友だちと外で遊んでいた。すると、火の見やぐらの半鐘がけたたましく鳴り、誰もかれもが小学校が燃えているとわめきたてるではないか。その燃える様子を見ようと、私は友だちとバス通り(国道4号線)の坂の上にある神社に駆け上り、そこから餅を食いながら燃える校舎を眺めたのである。餅は自分の家で作ったものか友だちの家からもらったものか覚えていない。ただ、眼下に燃える校舎を眺めながら餅を食っていたことはよく覚えている。

体育館には全学年が収まり切らず、確か5、6年生は寺の本堂で授業をしたのだと思う。あの時は大変だった、というのはたぶん先生の方で、我々はそういう境遇をむしろ楽しんでいたような気がする。狭苦しい教室で何をするにも窮屈だったけど、だからこそ余計に思い出が濃く残っているのかもしれない。(あ)


【タイムラプス】4月14日(金)6:09〜8:09の伊豆長岡の空。30秒。

https://www.facebook.com/aisakajiro/videos/10212661717600040/


【歩数】2,004歩。