いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

大寒や食めば海の幸こりこり

【写真】沼津・内浦漁港の朝市で買ってきたナマコ。

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朝市から戻ってすぐに包丁を入れた。その後、酢に浸けて冷蔵庫に仕舞い、その日の晩酌を楽しみにしていた。包丁で切る時は身がぎゅっと固く締まっていたが、晩酌をやる頃にはいい塩梅に身が柔らかくなるものとばかり思っていた。
ところが、これがちっとも柔らかくない。こちこちの固さでとても食べられたものではない。一口食って冷蔵庫に戻した。あれ? こんなに固かったっけと、昔食べた記憶を辿ってみたが思い当たらない。新鮮な証拠なのだろうけれど、固すぎて食べられないのでは仕方がない。それで食べるのは一日延ばすことにした。
そして、月曜日、もういいだろうと噛んでみたら、まだ固い。しなしなっという歯ごたえには程遠い。おかしいな、こんなはずではなかったに。では、もう一日待ってみよう。
さすがに酢に浸けて二日目だから、いい加減柔らかくなっているだろう、ぱくっ、とやったがこれがまだ固い。そんな、そんな、酢に浸けすぎて余計固くなってしまったか。ならば、酢を捨ててみよう。
というわけで、珍味ナマコは二口食べただけで、まだ冷蔵庫に仕舞われたままです。たっぷり浸かっていた酢を捨てて、さてどうなるか。明日もう一度試してみます。
中国では干したナマコ「乾海参」は超高級品なんだそうな。干したナマコは食べたことはないが、焼いたナマコなら食べたことがある。まだ小学生だった頃だ。
私が生まれ育ったのは青森の貧しい漁村で、ごろた石の浜は格好の子どもの遊び場だった。毎年夏に浮きで囲って海水浴場が作られ、夏休み直前には、海で泳ぐ時は海水浴場で泳ぐようにして、危険な岩場では泳がないようにという注意を学校で聞かされるのだが、我々洟垂れ小僧たちは学校の言うことを聞かず、もっぱら泳いではいけないと言われた場所で泳いだ。そこではナマコを手づかみで捕れるからである。
ナマコはおもしろいようにうじゃうじゃ捕れた。捕れたナマコは大概小粒なものばかりだが、これを浜の焚き火にぶっこんで焼いて食べるのである。ナマコの他にはウニもあった。アカジャラという貝もあって(5mほど潜らなければ捕れない)、これは貝柱がホタテの味に似て旨かった。
アカジャラを捕るのに潜って、一度、アイナメを軍手で捕まえたことがある。アイナメは大きな石と石との間に身を潜ませて顔だけ覗かせていた。ウサギ顔を素っ頓狂にこちらに向けている。魚は後ずさりはできないもので、石と石に挟まれ身動きできないアイナメは、差し迫る私の軍手になす術がない。トロ箱に凍りづけされたように固まったまま私に捕まえられてしまった。そして、これも焚き火で焼かれた。
こんな楽しいことが泳いではいけない場所にあるのだから、ただ手足をばちゃばちゃさせるだけの海水浴場に行くはずがない。
だから、台風が近づいていたって何だって、ほぼ毎日のように海に出かけたものである。ある日などは、鉄鍋を家から持ち出し、畑でじゃがいもを勝手に掘って、海水で煮て食ったりした。
今は、昔遊んだごろた石の浜もコンクリートに塗り固められ、いよいよ村の子どもたちは海水浴場で泳ぐしかなくなった。その子どもも過疎化で小学校を街の方へ持って行かれバス通学を強いられるようになった。
生活が便利になるということは子どもにとってどういうことなんだろう。
まな板のナマコの写真から、またまた話が思わぬ方向へ行ってしまった。でも元々、生活が便利なことは決して子どものためにならないという思いがどこかにあったから、話がそっちへ引き寄せられたのかもしれません。(あ)

【あやめ湯】18:33〜19:12。3→2人。

【タイムラプス】1月24日(火)6:37〜8:56の伊豆長岡の空。34秒。

【歩数】1,781歩。