いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

新春の月金の星手繰り寄す

【写真】月齢3.8の細い月と金星。

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昨夕はあんなに離れていた月と金星が、今夕はこんなに大接近した。私が空にiPhoneを向けていると、私の脇を追い越して行った年配の女性が、「きれいねえ」と言って立ち止まり、私と同じようにスマホを空に向けた。
iPhoneを持つようになってから、写真は全てiPhoneで撮っている。撮る写真はほとんどがブログに載せるためのものだから、高性能のカメラは必要ない。iPhoneで十分です。
そう思っていたら、昨年秋にiPhone7 Plusが発売され、デュアルカメラシステム(カメラレンズが2つある)が搭載された。つまりは、2倍の光学ズームで写真とビデオが撮れるようになった。さらにポートレートモード撮影が可能となれば、益ます一眼レフカメラは要らないですね。
要らないという点では、パソコンも要らなくなってしまった。と言いながらパソコン(Mac mini)のキーボードを叩いてこのブログを書いているのだが、それはキーボード操作の方が文字入力が楽だからというだけで、どうしても必要だというわけでもない。なければないで困らない。
ノートパソコンは、昨年2月にワープロソフト「一太郎2016」の購入時にWindows10搭載のをセット価格(4万4000円)で買ったが、文書作成の必要のない職場になってからほとんど使っていない。パソコンショップを覗いても、かつての賑わいがないものね。デスクトップのコーナーなんてほとんどスルーなんじゃないかな。
パソコンでできることの大部分が、今やスマホ1台あれば事足りる時代になった。加えてクレジットカードが使える、Suicaが使えるとなれば、パソコンの時代はもう終わったと言わざるを得ない。
IT革命が叫ばれた黎明期には、いよいよペーパーレス時代到来かと騒がれたりもしたが、実際にはそうならなかった。その一つの要因に日本独特のハンコ文化がある。ところが昨年、大手銀行が印鑑なしでも口座開設を可能とする方向へ動き出した。これがどこまで浸透するかは分からないけれど、今年はおそらくどこの銀行も右倣えで印鑑不要になるのではないかと見ている。ハンコ文化のない外国では自筆サインで何の問題もないのだから、そういう動きはむしろ遅きに失した感なきにしもあらず。
銀行での印鑑不要の動きの先には、かつて騒がれたペーパーレス社会が見えそうな気がするが、管見にして私にはそれが見えない。電子書籍が遅々として普及しないのは、紙の方が手軽で読みやすいからに他ならない。例えばA4版の文書に目を通すとしたら、一目で全体を見渡せるという点では電子版よりも紙媒体の方がはるかに見やすい。
私は5年ほど前、本棚の本を片っ端から「自炊」してハードディスクとiCloudに保存した。おかげで部屋がすっきりしてカミさんにはありがたがられたのだが、どこでも読めるように電子化したつもりなのに、手にするのは相変わらず紙の本だった。
なぜそうなるのか。それには端末のバッテリーの問題がある。読もうと思えばどこでも読めるのだが、バッテリーがどんどん減っていくのが難点。文庫本のサイズなら読みづらさはさほどでもないが、このバッテリーの問題があって、つい電子本を避けてしまう。
そう考えると、電子書籍の普及はまだまだ遅々として進まない状態が続くような気がする。それに雑誌が旧来のものが廃刊になり、代わって新たに創刊するという「かつ消えかつ結ぶ」現状を鑑みれば、紙媒体に対する消費者の親密度は今後も低下することはないと思う。しばらくは双方並行して情報媒体の役目を担っていくのではないだろうか。(あ)

【歩数】16,,258歩。