いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

餅搗や長男次男嫁彼女

横須賀のカミさんの実家で餅搗き。
29日に餅を搗くのは、昔から「苦持ち」と言われ、縁起が悪いと言われる。だから大抵、28日か30日に餅搗きをするのが一般的だが、今年は義兄の仕事の関係で、餅を搗くなら今日しかないということで29日の餅となった。
しかし逆に、29日は「ふく(福)」をもたらすとして、あえてこの日に餅搗きをするところもあるらしいから、要はいつ搗こうが、どうだっていいのである。
義母が今年、義兄が住む練馬近くの介護施設に入所し横須賀を離れた。それで今年は餅搗きをするかしないかはっきりしなかったが、義兄の息子二人が「是非おばあちゃんに餅を食べさせてやりたい」と言ったらしく、それで今年も餅搗きをすることになった。
横須賀の餅搗きは、私がカミさんと一緒になってからずっと続いている。かれこれ37年にもなろうか。義父から手ほどきを受け、代が変わって義兄に受け継がれても、毎年欠かさずこうして餅を搗いているというのは、考えてみればすごいことである。
第一、閑静な住宅地のど真ん中で煙を出して米蒸すこと自体あり得ない。周囲からよく苦情がこないものだ。そう思っていたら、義兄の話によると、去年の餅搗き後にお隣さんから苦情があったという。やっぱりね。
ところが、それは煙に対してではなくて、後片付けの時に隣の玄関前にゴミを流したことによる苦情だったと義兄は言う。が、カミさんは、そんなことはない苦情の元は煙にあると断言する。半日ずっと煙を出すのだから洗濯物を干そうにも干せないじゃないの、苦情がくるのは当然よ、なのである。
苦情は苦情として受け止めつつ、それでも断行するというのだから恐れ入る。私なんぞは苦情が出ている中での餅搗きは如何なものかと思ってしまうが、義兄にはそれをはねのける押しの強さがある。その点は義父そっくり。
そうは言っても多少は去年の苦情を気に留めていたものか、今年搗いたのは例年の3分の2の4臼と控えめ。供え餅用は搗かなかった。で、餅を搗き終えたのがちょうど正午。これまでの餅搗きでいちばん短い。問題のお隣さんからは特に苦情はなかった。
義兄が車で伸し餅を運んでやるというので、お言葉に甘えてそうしてもらった。昨年は昼から義兄と酒を酌み交わし、夕方には杉田(横浜)の息子のレストランに顔を出し、その後近くの居酒屋に入って二人して呑んだくれ、挙げ句、義姉が搗きたての餅を詰めてくれたタッパーを店に置き忘れるしくじりをしたが、今年は義兄が車を運転することになって延々6時間呑みっ放しとはならなかった。
若かりし頃、女優・望月優子参院選に打って出た時の運転手を務めたという義兄だから、神奈川県の道路という道路は狭い裏道まで知り尽くしているはずだったが、横須賀から藤沢へ向かう途中の笠間十字路で走る道を誤った。それで、私がナビを務め、遊行寺から旧東海道を通ってマンションにたどり着くまでの道順を教える。旧東海道を走りながら、かつての宿場町の名残をとどめる店構えを見つけては、「○○(私の長男)もこういうところで店をやればいいんだよ」と、今月で店をたたむことになった長男の今後を心配してくれる。こと長男に関しては私も心配の種が尽きない。ほんと、これからどうするつもりなんだろうと気をもむのである。(あ)

【写真】今日の餅搗きの様子。1臼目を搗き始めたところで雨がパラパラ落ちてきた。人は濡れても餅は濡れないようにと、裏の物置からビーチパラソルを持ち出した。ちょっと珍しい餅搗きの風景。

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【歩数】11,430歩。