いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

千両の実のゆさゆさと陰照らす

今日、学校教育課長との面接があった。来年度の意向確認である。
昨日と今日の両日で、課長が6箇所の放課後児童教室を自ら回り、支援員全員と5分程度の面接をするのである。昨年までは支援員が庁舎に呼ばれ、そこで面接をしていたようだ。今年は課長自らが各教室を回るというので、その方がありがたいと職場の皆にも好評だった。
課長は、私が以前提出した意向調書をテーブルの上に取り出し、それに目を落としながら「来年度は継続勤務の意向はない、ということでいいですか?」と訊いた。私は、「はい、ありません」と答える。
次に課長は、継続勤務を希望しない理由を訊いてきた。課長としても、職場に男性職員が一人という環境で、私が果たしてうまくやっていけるかどうか気に留めてくれていたらしい。「新しい風を吹き込もうとしたのですが、やはり、一人というのはきつかったですかね。男の人がもう2、3人いたらよかったかもしれませんね」と課長は言ったが、「やりづらい部分は多少ありましたけど、きついというほどではなかったです」と答え、すでに過去形の言い方になっていることに気づいた。
特に具体的なことは言わなかった。課長も、どういう点がやりづらかったかまでは突っ込んでこなかった。課長も男だから、たぶん「やりづらい部分」をそれなりに想像できたのかもしれない。
「おかげさまで子どもたちは私に懐いてくれて、それはとてもありがたいことと思っています。でも、実は私はこれから絵を描いて過ごそうと思っていまして、それで、その時間がほしくてこの3月で辞めることにしました」と、辞める理由を課長に告げる。課長は、それならば仕方がないというふうに頷いて、「まだ3月までありますので、それまでは引き続きよろしくお願いします」と言って面接を終了した。
辞める理由に「絵を描いて過ごす」と伝えたが、それは半分建前で、もう半分の本音は、やはりこの仕事は私に向かないというものだった。いちばんの苦痛は、何と言っても子どもたちが登所してくる前のお茶タイム。12時半にタイムカードを押して1年生が2時半過ぎに登所してくるまでの2時間が苦痛で仕方がない。その時に交わされる女子会的会話(たぶん女子会ではこういう会話が交わされるのだろうと想像する会話)にどうしてもついていけない。みんなで楽しそうに語らう輪から抜け出たくて尻がムズムズする。だったら、すっと座を立てばいいじゃないかと思い、4月5月頃はそうしていたのだが、あまりにそれが頻繁だと協調性のない偏屈なやつだと見られると思って、私一人が我慢すればいいこと、そのうち慣れるさと我慢して座っていた。しかし、慣れなかった。これは私には無理、ダメ。大暴れするやんちゃな4年の男の子と一緒にいる方が余程気が楽だと思った。
さて、4月からどうするか、ですが、今のところ何の見通しもありません。なければないで絵の勉強に専念するだけ。もし呑み代稼ぎに都合のいい仕事があれば、一応応じてみようかなと思っています。カミさんが、もっと稼げ!という顔をするので。(あ)
写真は、裏庭のセンリョウ。隣家との境界に赤と黄の実をつける。

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マンリョウは庭のあちこちに見えるが、センリョウはここだけ。マンリョウの実は葉の陰に隠れるように生り、センリョウの実は葉の上に生る。幾分センリョウの方の実が小さい。「千」と「万」という数の大きさでそう呼び分けているとの説もあるが、詳しくは分からない。どちらも縁起物として正月飾りには欠かせないらしい。そういう縁起物に囲まれていると思えば、♪ボロは着てても心は錦♪の気分にはなれる。
タイムラプスは、12月8日(木)6:24〜8:41の伊豆長岡の空。
あやめ湯(18:32〜19:03)2→6人。

3,499歩。