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いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

短日や画架の脚早畳みをり

「先生の言い方って、学校の先生みたい」
おやつの後の室内自由遊びの時間に、4年生の女の子からそう言われた。囲碁をやるのは初めてという3年生の男の子に私がやり方を教えていた時、その女の子が別のテーブルから私の横にやってきて言ったのである。
これまでそんなことを言われたことがなかったので、どう理解していいか戸惑った。「学校の先生みたい」に偉そうな言い方をするという意味なのか、「学校の先生みたい」に説明の仕方がくどいという意味なのか……。
私は、今年3月まで学校の先生をしていた。昭和54年に初めて教壇に立ってから37年間ずっと先生と呼ばれてきた。今年は学校を離れて、放課後児童教室の支援員として同じように先生と呼ばれている。しかし、同じ「先生」でも子どもたちの意識の中では順位付けがきちんとできていて、学校の先生は上位、児童教室の先生は下位なのである。
上位とか下位とかの意識は私にはまるでない。そんなことどうだっていいじゃねえかと思うが、子どもたちは区別する。子どもたちというよりも、たぶん親の意識が子に反映されてそうなっているのだろう。
しかし、職業病というのでしょうか、長い間先生をやっていると、自然に言い回しがどうしても「学校の先生みたい」になってしまうのは如何ともしがたい。こればかりはどうしようもないし、今さら直そうと思って直るものでもない。でも、自分では意識しなくても、子どもって直感で先生臭さを感じてしまうんですね。
子どもにとって、先生って何だろう。今日はそんなことをちょっと考えさせられました。
写真は、自作のイーゼル

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昨日、砂絵用に作ったスタンドを解体して、イーゼルに作り替えた。水彩画を描くのに、イーゼルはどうしてもなくてはいけないというものではないが、以前見た動画に、上に塗った絵具が下に垂れてくるのを上手く利用して描いているのがあって、へええ、いろんな描き方があるんだなあと感心したことがあった。それを自分でも描いてみたくてイーゼルを作ってみた。
携帯には適さない。普段は部屋に据え置くことになるが、アトリエなんて洒落たものはないし、今後どんどん藤沢から家具が運び込まれるだろうから、邪魔にならないように部屋の隅にでも立てかけておくとしよう。
その絵だが、今、描く時間を持てないでいる。水彩画(淡彩画)に目覚めた頃は、よし、毎日描いて描きまくるぞと意気込んでいたが、ここへきて絵筆を持つ手がぱたりと止んだ。ようやく余生の趣味を水彩画に絞り込むことができたのに、これは一体どうしたことか。
藤沢のマンションの売却が決まり、絵を描くことよりも先にやるべきことができてしまったのだ。藤沢のマンションを空っぽにし、伊豆へ運ぶものは運び、運ばないものは処分する。これを3月までにしなければいけない。さてどこから手を付けようかというので頭がいっぱいで、そんな中でのんびり絵を描こうという気にはなかなかなれないのです。(あ)
タイムラプスは、11月21日(月)6:36〜8:34の伊豆長岡の空。
あやめ湯(18:34〜19:07)2→1人。

2,694歩。