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いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

コーヒーの苗や窓辺の冬日和

今日の朝日新聞デジタル「天声人語」を見たら驚いた。タイトルに「さよなら山口六平太」とある。
朝日新聞デジタルの「天声人語」(無料)は毎日目にしていて、一頃、ブログを書く参考にしようと思ったことがある。参考にしようとしたのは内容ではなく、その書き方。段落分けの▼も含めて、毎回ぴたり603字で収める技をなんとか習得して真似てみようとしたが、そんな芸当などとてもできるものではないことは真似をし始めてすぐに分かった。
今日驚いたのは、「天声人語」に「山口六平太」が取り上げられたからである。なにゆえに「山口六平太」? 取り上げるならもっと他にふさわしいものがあったろうに。
コラムには「1986年から30年続いた人気漫画『総務部総務課山口六平太』の連載が唐突に終わった」とあり、漫画家の高井研一郎さんが亡くなったことを知らせていた。慌てて手元にあるビッグコミック最新号を開くと、第731話として山口六平太が髭を生やした話が載っていた。そうか、これが最終回となるのか。ページを繰りながら私も多少感傷的になる。

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コラム子は「『社会にはおかしなことも多々あるが、人は仕事を通じて成長する』。六平太にはそんなサラリーマン哲学を教わった気がする」と言うが、私は六平太に心の癒やしは感じても、哲学の匂いまでは感じられなかった。
コラム子にとって山口六平太は人生哲学を教えてくれる師であったようだ。むしゃくしゃした気分を引きずりながら遅い帰宅をする。テーブルには帰りに買ってきたビールとつまみ、それにビッグコミックだ。山口六平太のページに飛んでビールをコップに注ぐ。それをぐびっとあおり、一日の疲れを彼に癒してもらう。そのパターン、何だか私に似てなくもない。
ただ私は彼から哲学を伝授されなかっただけだ。されていたら、コラム子のように新聞に記事を書く人になれただろうか。あほか、なれるわけないだろ。
写真は、コーヒーの苗木。今日、床屋さんからもらってきた。

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今日は仕事が休み。それで、午前中に家のガラクタを少しばかり整理して、午後、散歩を兼ねて床屋に出かけた。
散髪は2ヶ月ぶり。午後2時半ちょっと過ぎに店に入ったら内には誰もおらず、テレビがつけっぱなしになっていた。そのうち息子さんかお母さんが顔を出すだろうと立ったままで例の写真集(昔の伊豆の暮らしが分かって楽しい)をぱらぱらめくっていたら、奥からお母さんが出てきた。
このところ私の散髪に当たる人はずっとお母さん。奥の部屋にモニターか何かあって、それで客の顔を確認しているのかもしれない。あの人か、では私が、と言ってお母さんが出てきた、という可能性はあるな。
散髪してもらっている途中で電話が入り、お母さんはハサミを中断して電話に出た。お馴染みさんからのようだ。店が空いているか混んでいるかの問い合わせのようで、お母さんは、暇にしていますからいつでもどうぞ、と言っている。そのやりとりを聞きながら、もし洗髪の最中に電話がかかってきたらどうするんだろう、電話に出るんだろうか放っておくんだろうかと想像してみる。そんな、どうでもいいようなことを想像してみるくらい平穏に暮らしている今を、ありがたく思う。
背もたれの按摩にほぐされながら顔を当たってもらっていたら、いつの間にか眠っていた。はいお疲れ様でしたと促され、あまりの心地よさに寝てしまいましたとお母さんに言ったら、ありがとうございます、もしよかったらこれを連れて行ってもらえませんかと言って、入口にいくつか並べたコーヒーの苗木のうちの一つを私にをくれた。
いえ、こちらこそありがとうございます。枯れさせないよう大切に育てます。豆が赤くなったらお店に持って行きますね。その豆で一緒にコーヒーを飲みましょう。(あ)
あやめ湯(17:12〜17:59)5→3人。
タイムラプスは、11月16日(水)6:33〜8:34の伊豆長岡の空。

6,389歩。