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いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

立冬の月湯上りの髪濡らす

写真は、あやめ湯を出てすぐの交差点から撮った十六夜の月。

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昨夜のスーパームーンは生憎の雨で見られなかったが、どうしてどうして、今夜の十六夜の月だってなかなか見事なものです。

十六夜と書いて「いざよい」と読む。ためらう意の「いさよふ」(上代は清音)の連用形が名詞化したもの。十六夜の月は十五夜の月よりもやや遅れて出る。その様を、月がためらっている、と見立てた。

以降、徐々に月が欠け、出も遅くなる。十七夜が「立ち待ち月」、十八夜が「居待ち月」、十九夜が「臥し待ち(寝待ち)月」、二十夜が「更け待ち月」。

この微妙な月の欠けを昔の人はきちんと見分けていた。そしてそれの一夜一夜に名前をつけて愛でた。

子どもに、月の絵を描いてごらんと言うと、決まって「三日月」の形を描く。太陽と形がかぶるからだろうか、まん丸くは描かない。それほど、月の代表格の三日月だが、もともとは「朏(ひ)」と書いて「みかづき」と読み、姿が初めて見え出した月を表していた。新月(朔月)は月の姿が全く見られず、二日月もほとんど姿が見えない。三日月になって初めて月の形に見える。

原始の太陰暦では、新月が見えた日(三日月)を新しい暦日の始めとしていたことから、異名が非常に多いという(http://www.moonsystem.to/lunar.htm)。曰く、「眉月」「朏魄」「若月」「初月」「虚月」「蛾眉」「繊月」などなど。

「三日月」で私がイメージするのは、♪どこの誰かは知らないけれど 誰もがみんな知っている♪「月光仮面」の額に貼り付いたマークである。風呂敷をマント代わりにひらひらさせて「正義の味方」を気取ったものだ。あるいは早乙女主水之介の「天下御免の向こう傷」か、はたまた花王石鹸か。いずれにしても貧弱なイメージばかりだが、こうしてみると三日月は、今も昔も人の関心を引き寄せる霊力があったようだ。

見た目の形の格好良さでは「三日月」は断トツかもしれないが、私としては、ここは一つ「十六夜」に軍配を上げておきたい。「いざよい」という呼び名が何とも雅だし、「ためらい」という気分も染み込んでいて詩情をそそる。ハロウィンだクリスマスだとぎゃあぎゃあ騒ぐより、こういうしっとりした日本の美を子どもたちに受け継がせたいものだと常づね思う。

昔の人は月の欠け具合をきちんと見分けていたと先ほど書いたが、では、十五夜十六夜の形をきちんと見分けていたかというと、どうもそのあたりが怪しい。事実私が今日見た月は、十五夜と言われればそうだねと頷くくらいまん丸く見えた。昨夜がスーパームーン十五夜と知って、ならば今夜は十六夜だろうと知ったに過ぎない。月の形から判断したわけではない。

恐らく昔の人も、一日の月の違いをその形だけから見分けたわけではなく、出た時刻からも判断したのではなかったか。月の出る時刻は一日に約50分ずつ遅くなると言われる。iPhoneアプリ「日めくり」で見ると、静岡の昨日の月の出は(実際は見えなかったが)16:47で今日が17:37。辺りが薄暗くなりかけた頃とすっかり暗くなった頃との時刻の差は明らかだ。そこから十五夜十六夜を見分けたのではないだろうか。

私が写真を撮っていたら、私の横を素通りした人が、やや間を置いてシャッター音を鳴らした。振り向くと、その人も私の撮った月にカメラを向けていた。十六夜と知っていたかどうかは知らない。知らなくたっていいさ。その月が素晴らしい月だったことに変わりはないのだから。(あ)

タイムラプスは、11月15日(火)6:42〜8:32の伊豆長岡の空。

https://www.facebook.com/100001436582002/videos/1250595061665035/

あやめ湯(18:37〜18:58)3→2人。

2,833歩。