いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

独り酒友は紅葉の手向山

写真は、色づいた庭のシダレモミジ。

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このモミジは新緑の頃は赤紫、真夏は青色、そして今の時期はこの色になり、やがて落葉する。一年を通して葉がいろいろと変化するので見ていて楽しい。
カミさんは、このシダレモミジよりも隣家の庭のイロハモミジを好む。この前、隣家に回覧板を届けに行った際、ご出身がマレーシアだという奥さんが「すみませんねえ、枝がお宅の方まで伸びてしまって……。主人に言って(はみ出した)枝を切ってもらいますから」と言うので、「いえ、私の方は大丈夫です。うちのカミさんがこの樹が好きで、切らないで、かえってこのままにしておいてくれたほうが私としてもありがたいくらいです」と伝えておいた。
隣家のイロハモミジは、階段の上がり端の窓から手を伸ばせば届きそうなところまで枝が伸びている。うちの敷地にだいぶ入り込んでいるが、私としては、そんなことは全く気にならない。むしろこれから真っ赤に色づく葉を楽しみにしているのである。
目を戻して、うちのシダレモミジ。これを別名「手向山」という。百人一首24菅家「このたびは幣もとりあへず手向山紅葉の錦神のまにまに」の、あの「手向山」である。手向山は奈良市東部に位置する山で、紅葉の名所らしいが私は行ったことがない。歌意は「今度の旅は、急な上皇御幸のお供で来たために、道祖神に奉る幣(ぬさ)を用意するひまもございませんでした。せめて、この手向山のみごとな紅葉を幣として、神よ、御心のままにお受けください」。
手向山だなんて、シダレモミジもなかなか風雅な名をいただいたものです。見た目は、カミさんが好きだというイロハモミジの赤には見劣りするかもしれないが、私はどちらかといえばこの渋い色合いのほうが好き。和室の窓辺でコーヒーを飲んでいると、縞大名竹の向こうに淡く色づいた葉がちらりと顔をのぞかせる。この控えめな感じがいいね。
実はこのシダレモミジはミニ菜園の隣に2mくらいのがもう1本あった。それを去年、思い切って根からばっさり切った。ミニ菜園の日照を優先したということもあるが、もともと1本あれば十分という思いもあった。いずれは南隣家側の柿の木(今年1個だけ実をつけた)も取り払って、できたスペースに薪小屋を建てようと思っている。
考えてみれば、うちの庭木の種類もかなりなものである。車庫から順に庭の奥へ向かって、マツ(たぶんクロマツだと思う)、ツゲ、ドウダンツツジ、ヒイラギ、サルスベリ、アオキ、グミ、ムクゲ、ツバキ、ヒュウガミズキ、サツキと来てようやく玄関にたどり着く。こう書くと、どんだけ長いアプローチなんだと思われるかもしれないが、なんのことはない、前の道路から玄関まで10mもないのである。それだけの短い間隔にこれだけの庭木が植わっている(私が植えたのではなく前のオーナーが植えた)のだから、ほとんどジャングル状態と言ってもいいでしょう。
玄関からさらに庭の奥へ進むと、アシビ、ウメ、アジサイ、カキ、アマナツ、プラム、ビワ……、家をぐるり一周した終点にヤマボウシがあるが、半周したこの辺で止めておく。
ともかく、これでもかと言わんばかりの庭木に囲まれていると、四季折々に見せる自然に直に触れられて、生活にとても潤いを感じます。都会に憧れて田舎を飛び出した青年が、巡り巡って再び自然豊かな田舎で老年を過ごしているのだから、美空ひばりじゃないけれど、人生って、ほんと、不思議なものですね。(あ)
あやめ湯(18:37〜19:12)4→3人。

4,401歩。