いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

さば雲の結べる点を視点とす

写真は、昨日(11/1)15:37に撮ったさば雲。

f:id:jijiro:20161101153721j:plain

カミさんが今日、藤沢から我楽多を運んでくることになっていて、それの仮置きのスペースを確保するために、1階洋室の未整理の我楽多を一旦2階に移動した。その時に見た雲がこれ。秋を代表する巻積雲である。
巻積雲は、その形状によって「いわし雲」と言ったり「うろこ雲」と言ったりする。では、「さば雲」とは何かといえば、これも巻層雲。要するに、雲を見た人が鯖の背の模様のようだと見れば「さば雲」、鰯の群れのように見えれば「いわし雲」、魚の鱗のように見えれば「うろこ雲」ということらしい。結構いい加減なんですね。
でも、このいい加減さがいいんです。「ほら見てごらん、巻層雲だよ、きれいだねえ」なんて言った日にゃ、風情のかけらもありゃしない。
そういえばその昔、遠藤周作が狐狸庵先生と称して書いたエッセイの中に「ちょっと、ホタルを見に」というのがあった。妙齢のご婦人が、好意を寄せる男性とドライブに出かけた。と、甘い気分に浸っているところへ俄かに尿意を催した。トイレなどあろうはずのない山の中で車を停めてもらい、どうしたの?と尋ねる男性に言ったセリフが「…ホタルを見に」だった。
そんな女性が実際にいたかどうかは知らない。きっと遠藤周作お得意のすっとぼけ話だとは思うが、あのセリフは不思議と記憶に残っている。
それからしばらく経ってカミさんと知り合い一緒になった(「ホタルを見に」とは決して言わない類の人だったのでホッとした)。新生活を横須賀で始めたある日、二人で丹沢湖にドライブに出かけることにした。運転はカミさん。運転免許を持たない私は助手席でビール。丹沢湖に着き、ダム広場でトイレ休憩したのだが、私と入れ替わりにトイレに行ったカミさんがなかなか戻ってこない。どうしたんだろうと思っているところへ、カミさんが青ざめた顔で戻ってきて言う。「トイレに車の鍵を落とした」。
その日のカミさんは、胸に大きなポケットの付いたデニムサロペットを履いていた。車の鍵を胸ポケットに入れ、しゃがみこんだ拍子にトイレの穴に鍵を落としてしまったのだと言う。当時のダム広場のトイレはまだ水洗ではなく、旧式のボットン便所だった。どうしようとカミさんは半べそをかく。どうしようと言ったって、鍵がなければ車は動かない。帰れない。トイレの穴から摘まみ上げるしかない。いっぺんに酔いが覚めてしまった私は、カミさんに案内を頼んで女子トイレの個室ドアを開けて穴の中を覗く。
臭い、なんて言っていられない。ともかく摘まみ上げるしかない。鍵は、鍵はどこよと探したら、これがあっけないほど簡単に見つかった。ずっぽリと埋もれて奈辺に落下したか分からない状態を想像していただけに、ちり紙の上に乗っている鍵を見つけたときの安堵といったらなかった。そのまま素手で摘まみ上げ、一件落着、夫婦円満となった次第。
カミさんはトイレのことを今も昔もお手洗いと言う。「おいしい」がもともと女性言葉であるように(男は「うまい」と言う)、「お手洗い」も女性言葉で、男性は使わない。しかし、トイレの穴から車の鍵を摘まみ上げたときは、男もトイレのことを「お手洗い」と呼んでもいいくらいの気分だった。(あ)
タイムラプスは、11月2日(水)6:13〜8:49の伊豆長岡の空。
あやめ湯(18:35〜19:18)3→3人。

3,315歩。