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いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

落ち葉押し上げて分葱の生え伸びる

今年の富士山の初冠雪は昨日26日(水)で、昭和31年と並んでこれまでで最も遅いという。
昭和31年は私が3歳の年。そのときに撮ったものらしい写真が一枚残っているのだが、当然のことながら、当時の記憶はまったくない。

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三輪車に乗っている赤ん坊は私だと、これまでずっと思ってきたが、もしかしたら二つ年下の弟かもしれない。あるいは八つ年上の兄だろうか。いや、兄ということはないな。8年も終戦に近い頃は食うや食わずのぎりぎりの生活だっただろうから、家に三輪車を買う余裕なんてあろうはずがない。
だとすると、この赤ん坊は私か弟かということになるが、仮にこの写真がどちらかの2歳の時のものだったとして、もし赤ん坊が弟だったら、4歳であろう私はこの時どこにいたか。別の場所で近所の子と遊んでいたのだろうか。それとも昼寝をさせられていたのだろうか。
この赤ん坊が私だった場合、弟はこの時まだ母親のお腹の中にいたとも考えられる。あるいは生まれたばかりでエンチコ(嬰児籠。津軽の方言で、赤ん坊を寝かせておく籠のこと。これで育てられた子どもの後頭部は形に特徴があって、あっ、津軽の人だと見れば直ぐ分かる)に寝かされていたか。私と弟の両方が写真に収まっていれば難なくどっちとわかるのだが……。考えてみれば、幼い兄弟が揃って撮った写真は、この写真を含めて一枚もない。
亡母は写真を見るのが好きだった。帰省するたびに棚からアルバムを取り出して私に見せたがったし、写真を見せながら昔のことをいろいろ聞かせてくれたりもした。この写真を最初に私に見せた時、「ほれ、三輪車こさ乗ってるのだば、おめでごさね(あなたですよ)」という言い方だったかどうか定かではないが、写っている赤ん坊は私だと、そのとき母から聞いたような気がする。気がするだけで確証はない。母が今も生きていれば確かめられようが、母は7年前に87歳で亡くなった。
この写真を撮ったのは、私の家の前を通る国道4号線を渡った空き地のはずだ。一段高くなったコンクリートの国道は、その後もしばらくその状態のままだったからよく覚えている。この空き地でビー玉やメンコをして遊んだものだ。ということは、背後に我が家が建っていなければならないが、それらしい家は写真に写っていない。私の記憶違いで、写真を撮った場所は別の空き地だったのかもしれない。
実はこの写真、ブログに載るのは二度目。今年の富士の初冠雪が、ちょうど60年前の10月26日と並んで最も遅い初冠雪ということで、60年前の私(たぶん)の写真に再登場願った次第。身につけている服装から推して、時期は初秋といったところでしょうか。
こちらの写真は、芽を出したミニ菜園の分葱。同時に植えた浅葱はまだ芽が出ない。

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芽が出たばかりで収穫はもうしばらく先だが、まずは予習ということで分葱を使ったレシピをcookpadで検索してみた。そうしたら、あるある、3,876品も出た。でもやはり、分葱といえば定番は「ぬた」ですね。その「ぬた」に絞っても274品ある。
お、そうだった、「ぬた」を作るんだったら擂鉢が必要だな。それと擂粉木。味噌入れて、酢を入れて、砂糖も少々入れますか、ついでに柚子を一絞り。取らぬ分葱のぬた算用で、ああ涎が、涎が。
タイムラプスは、10月27日(木)6:03〜8:15の伊豆長岡の空。
あやめ湯(18:33〜19:07)3→2人。

3,710歩。