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いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

帰り来る我が家の闇金木犀

明日は全校一斉秋の遠足日。今日の放課後児童教室は明日の遠足を楽しみにする子どもたちの声で溢れた。
1年生は修善寺の虹の郷、2年生は沼津の淡島マリンパーク、3年生は伊東の伊豆シャボテン公園、4年生は小田原方面(学校からいただいたプリントにはこれしか書いておらず、具体的な場所は不明)。小田原城址公園だけでは4年生として物足りないだろうから、生命の星・地球博物館と鈴廣かまぼこの里あたりをセットにして「小田原方面」としたのかもしれない。
私の小さい頃も遠足の前の日は、駄菓子屋に走ってお菓子を買い揃えたり、てるてる坊主を軒下にぶら下げたり、着ていく服を枕元に畳んだりして翌朝を待ったものだ。期待に胸が膨らんで、早く寝なくちゃと思いながらなかなか寝られなかったのを思い出す。ところが、はて、どこへ遠足に行ったんだっけとなると、これがまるで思い出せないのである。
いや、一箇所だけある。確か、小学校1年か2年のときだったと思う。隣の温泉町の外れにある水族館に行ったことがあった。そこは仙台市にある大学の付属臨海実験所で、当時は水族館として一般に開放され、手前の道に土産店や食事処が軒を連ねていた。数少ない青森の行楽施設の一つだったが、規模は10分も見て回れば十分といった小さなもので、見られる魚介類もほとんど漁港や魚屋で見るものばかりで真新しさはなかった。もともと臨海実験所という性格上、それはやむを得ない。ただ、道に並ぶ土産物には子どもの興味をそそるものがたくさんあって、小遣いがなくて買えなかったけれど(買ってはいけないという学校の指導があったかもしれない)見ていて飽きなかった。
買うことが許されない土産物の中で、とりわけ欲しいものが一つだけあった。それは、刀。何の変哲もない、どこの観光地にもある玩具だが、あのときはどこにでもあるものとは思わなかった。ここにしかないと思い込んでいた。もしそこに母がいたら、きっと駄々をこねて困らせていただろう。小田原の孫が100円ショップに行くたびに刀の前で立ち止まって動かないのは、そうした私の血をいくらか引き継いでいるのかもしれないと思ったりする。
その小学校の遠足以来、そこの水族館には行ったことがない。通った中学校は水族館から歩いて10分ほどのところにあったが、通学に利用する駅(通学には駅前から出るバスを利用していた)の反対側だったので、わざわざそこまで行くことはなかった。
時が過ぎ、母校の中学校は隣の村に移転され、元中学校の跡地に大きな県営水族館ができた。ネットで調べたら開園は1923年となっていて(Wikipedia)、これにはちょっとびっくり。1923(大正12)年というのは、これも調べたら実は臨海実験所ができた年であって、県営の水族館として開園したのは厳密には1983(昭和58)年である。
まだ幼い息子たちを連れて、できたばかりの県営水族館に行ったことがある。魚が頭の上を泳ぐ水槽のトンネルをくぐりながら、ああ、ここに私の学んだ教室があったんだなあと、当時の中学のあれこれに思いを馳せながら、しばし感慨にふけったことだった。(あ)
写真は、庭に咲く金木犀。あやめ湯から帰ってきたら、闇に濃厚な甘い香りを漂わせていた。

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タイムラプスは、9月27日(火)5:40〜7:57の伊豆長岡の空。
あやめ湯(18:37〜19:04)3→5人。

2,659歩。