いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

定年はまだなのあたし九月尽

昨日は小田原で孫の面倒を見た後で伊豆へ向かう。
午後5時半に孫の家を出て、車で箱根新道を上る。反対車線の小田原方面へ向かう下りは、日曜の夕方とあって、箱根峠近くまでずっと車が連なっていた。以前、土日に伊豆で遊んだ孫を小田原まで連れて帰るとき、日曜のこの時間帯の下りをよく走ったものだが、これほど混んでいる箱根新道は初めて。久々に空が晴れて、近場の箱根や伊豆で行楽を楽しもうという人が多かったのかもしれない。
箱根峠を越えてやや下ると、やがて眼下に三島・沼津の夜景が見えてくる。くねくね道に見えたり隠れたりする夜景を楽しみながらなおも下ると、右手にばっと夜景が開けて見える場所がある。今年3月に開通した箱根西坂のバイパスだ。北条氏の山城だった山中城跡を迂回する。これよりもう少し下に「三島スカイウォーク」という人道吊り橋があり、この橋は全長400mを端から端まで往復するだけで1000円もする。伊豆の行き帰りに必ず通る場所だが、こんなのに1000円も払うなんてバカみたいと言い捨てるカミさんは端から寄る気はない。高所恐怖症の私も、ここはカミさんに同意。
今回カミさんが孫を伴わないで伊豆に来たわけは、藤沢のマンションで不要になった我楽多を運べる時に運ぼう、月曜(今日のこと)は仕事が休みだし、というのが第一の理由。この我楽多のほとんどは今は横須賀にいる長男が使用していたもので、これが不思議なことに、後から後から次々と湧いて出てくる。それらをちびちび運んでいるうちに、伊豆の家はいつの間にか不要の残骸溢れる物置小屋と化してしまった。もちろんその中には私の我楽多も多分に含まれているのだから、あながち長男のせいにばかりもできないのだけれど……。
第二の理由は、これは私の想像だけれど、藤沢のマンションが売却に向けて動き出したのを受けて、カミさんが伊豆への移住を現実的なものとして受け止め始めたからではないかと思っている。これまで私のわがまま勝手な衝動買いに付き合わされてえらい迷惑と思っていたセカンドハウスが、いよいよ今後の老後の拠点となる展開が見えてきたことで、そういう目で改めて伊豆の家を見直す気持ちが出てきたのではないだろうか。
また、これには94歳になる横須賀の実母が、義兄の計らいで、義兄の住む東京の住居近くの介護施設に入所したのが大きい。それまでカミさんは週に一度、実母の介護で横須賀まで通っていたのだが、その実母が介護施設に入ったことで介護の必要がなくなった。もともと世話好きのカミさんだから、そのことがあって急に身辺に寂しさを感じるようになったのではないか。
第三の理由は、定年の65歳が間近に迫ってきたことだろうか。カミさんは私と同じ年齢だが、私と違ってまだまだ働く気満々である。この前も藤沢の自宅から歩いていける所に新しい介護施設ができたとかで、その厨房手伝いの募集に応募して面接を受けた。私はちっとも知らなかったが、その結果が土曜に届いた。結果は「✕」。本人はさほどがっかりした様子もなく、あっけらかんとして、「でも(落ちて)よかった、マンションが売れて伊豆へ行くようになったらどうしようかと思ってた」なって言っている。だったら面接受けるなよ、という話だが、定年近い歳になってもなお仕事をしようというのだから恐れ入る。同時に、定年後の暮らしをカミさんなりに考えている中に、伊豆での暮らしがこれまで以上に濃くなってきたことを感じるのである。(あ)
写真は、カミさんが作った焼きタラコ飯おにぎり。腐らすだけだからと言ったのに、4個も作って(1個は晩酌後に食べた)藤沢に帰って行った。

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あやめ湯(18:33〜19:05)3→1人。
タイムラプスは、9月26日(月)5:24〜8:16の伊豆長岡の空。

3,870歩。