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いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

稲田行く孫のバッグの誇らしき

写真は、小学2年の孫娘が書いた手紙と、昼のデザートで作った顔(私の顔だって)。

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手紙の日付は9月16日になっていた。敬老の日に向けて学校の授業で書いたのだという。孫の世話を頼まれ、今日、小田原の孫の家に行ったら、この手紙がダイニングのテーブルに置いてあった。私に読んでもらうつもりで、わざと見える場所に置いてあったようだ。
読むと、最近、ダンスに凝っている様子がわかる。孫娘がダンスに凝り始めたことは、一週間ほど前にカミさんから聞いて知っていた。ダンス仲間がいて、その仲間たちと大会に出るために、嬉々として練習に励んでいるという。
それで、その大会に持っていくショルダーバッグが欲しいとカミさんにねだったらしい。よし、ならば私が見繕ってやろうと、先週、リサイクルショップで女児に似合いそうなバッグを見つけてきた。先週は銀座へ行く用事があったのだし、ついでに孫娘のバッグを見てみようと思えばできたわけだが、なにせ所は花の銀座ですからね、私の小遣いではとても手が出ないだろう、出ないにきまっていると思って端から店を見て回る気はなかった。
カミさんはカミさんで、昔自分が使っていたのを押し入れの奥から引っ張りだして用意した。私の用意したのとカミさんのと、その二つを持って行って孫娘に見せたら、孫娘は私の買ってきたバッグを選んだ。写真に撮りそびれたが、外にポケットの二つ付いた柑子色の小さいショルダーバッグである。
買ったときは子供向きでないような、ややばばくさいような気もしたが、孫娘が気に入ってくれたので結果オーライ。かわいいねえ、とてもよく似合うねえと言えば、子どもは満更でもないのである。ちょっとばばくさいなどとゆめゆめ言ってはいけません。言えばたったその一言で、一生見向きもしなくなるから。
子どもの作文もそれと同じ。いくら拙くても褒めるに限る。ここの表現は間違った日本語だから、こう直した方がいいよとか言わない。書いた内容からいいところを見つけて褒めることに徹する。これが正しい作文指導である。子どもの表現力なんてものは、大人から見れば拙いに決っているのだから直したくなるのは当然、なのだが、それをやると子どもは作文を書かなくなってしまう。作文添削などで、よく赤い字だらけで返されてきたりするが、それは、さも丁寧な指導のように見えていて実は子どもの作文を書く気を削いでいるのである。書き方なんてものは、書いているうちに自然に身につく。大事なのは書きたいという気持ちに持って行くこと。そのために、子どもの作文を褒めるのである。そして、褒めるだけでなく、書いてある内容に読み手が反応してやることである。コミュニケーションを持つことである。そうすれば子どもに書く意欲が生まれ、書くことを楽しく思うようになる。
話がそれた。戻そう。
孫娘はそのバッグがよほど気に入ったと見えて、家にいるときも外でスケボーするときもお菓子を買いに行くときも、ずっと身につけていた。選んだ私も気に入ってくれて嬉しい。このバッグを肩から提げて友だちとダンス大会に行くんだと。ダンスはお揃いのユニホームを着て踊るんだろうか。どんなダンスをするんだろう。ぜひ見てみたいな。(あ)

4,244歩。