いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

神消えて鳥居守れる芒叢

土曜午前出勤。 

今週は月曜から仕事のし通しで、さすがに疲れた。昔はこれくらい平気だったのに、歳ですねえ、息切れしてしまいます。

仕事を終えた足で床屋へ行く。行ったら3台分ある駐車場が全て埋まっていた。これはしばらく待たされるなと思って、そのまま店を素通りしてバイクを奥の道へ走らせた。

床屋から先の道は初めてで、結構奥まで家が建っているのがやや意外だった。道は右に左に迷路のように分岐して、本道というものがない。まだ車が通る前の道なのだろう。その道に家々が窮屈そうに並んでいた。

知らない道を歩いたりバイクで走ったりするのは楽しい。どんな新しい発見があるだろうとわくわくする。知らない道から知っている道に出たりすると、へええ、こんなところに出るんだと頭の中に新たな地図ができて、その地図がどんどん広がっていくのが楽しい。

田京の集落を抜けて山道に入る。方向からしてこの道はきっと田中山の公民館に出ると読んで、奥へ奥へと進んでいく。途中、道路の拡張工事をしているところがあり、ここで、上っている道が公民館に繋がる道だと確信した。道の拡張は、田中山の農産物を大型トラックで運ぶためのものに違いない。

バイクで走ること15分、果たして道は田中山の公民館に出た。ここからT字路を伊豆長岡駅に向かって下りれば家に着く。下りようとして、ふと左手に神社の鳥居が見えた。額束に「田中山神社」とある。貫に張られた注連縄の一方がだらりと垂れ下がり、手前の芒の叢といい、長い間手入れされていない様子である。茂みの奥に祠を探したが、建造物らしきものは見当たらなかった。

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山の中にぽつんと建つ古民家のような、絵になる風景を探しながら坂を下りる。が、そんな都合のいい風景なんて簡単に見つかるものでもない。ぽつんと建つ家はあるにはあるが、ブロック塀でぐるり囲まれれば、それだけでもう絵にならない。時とともに古い家が取り壊されて新しい家になるのはやむを得ないが、絵を描く心からすれば、絵になる風景が消えていくのはやはり寂しいものがある。

夕方4時、風呂の支度をして再び床屋へ行くと、ちょうど店から3人の親子連れが出てきて車に乗り込むところだった。ん? 3人連れ? 子どもの散髪だとして父と母と揃って来るか? ま、いいか、お客さんが一組帰って行ったということはバーバーチェアが一つは空いているはずだ。

店に入ると、果たしてチェアが一つ空いていた。隣で息子さんが忙しく鋏を動かしている。ということは、私の担当はお母さんということになるな。さて、お母さんが奥の部屋から出てくるまで例の写真集でも見ていようと棚に手を伸ばそうとしたら、テレビの前に新しい写真集が置いてあった。

これはいい、これは面白そうだとページを繰っていたら、いつの間にかお母さんが私の座ったソファの前に立っていて、「ここ、これを見て!」と言って青い紙縒りを挟んだページを開き、そこに載っている一枚の写真を指差したものだ。それが、なんと、昭和16年のときの床屋さんの写真だったのである。

これはすごいぞ、お宝満載の写真集だ。あと何回通えばこの一冊を見切れるだろうか。よし、今度からは混んでたって何だって、順番を待っている間はたっぷり写真を見られるぞ。くっくっくっ、楽しみがまた一つ増えました。(あ)

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あやめ湯(17:27〜17:55)6→3人。

タイムラプスは、9月17日(土)5:25〜7:03の伊豆長岡の空。

https://www.facebook.com/100001436582002/videos/1194055667318975/

2,511歩。