いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

重陽や亡父と同じ白髪髭

あやめ湯(18:33〜19:22)5→3人。

風呂場に降りたら、奥からスキンヘッド氏、マイ桶氏、米朝氏と洗い場に並んでいた。湯舟に文身の人が一人。

入口のいちばん近い洗い場がちょうど空いていて、そこへ座る。米朝氏の隣である。

米朝氏「随分と遅いじゃあ。そんなに稼いでどうするら」

私「これでも目一杯早く(職場を)出て来たんですけど。こんだけ働いて月10万いかないんだから、やんなっちゃいます」

マイ桶氏「今日も暑かったねえ。暑いときはこうやって熱い風呂に入って、冷たいビールをきゅ〜っとやるのがいちばんさ。疲れが取れるら」

米朝氏「これからしばらく天気がよくねえら」

私「来週はずっと雨みたいですね」

マイ桶氏「まずいな。日曜は神社でお祭りがあるだよ。弁当頼んじまっただよ」(マイ桶氏は祭りを取り仕切る地元の顔役)

スキンヘッド氏「日曜は持つよ。雨は月曜からだら」

マイ桶氏「そんならいいんだけんど、雨だったら弁当の処理に困っちまうだよ」

私「どんなお祭りなんですか?」

マイ桶氏「この山(源氏山のこと。あやめ湯のある古奈地区と温泉場の長岡地区を隔てる小高い丘)の上に毘沙門天を祀ってる祠があるだよ。そこで弁当広げて酒を飲むだよ」

米朝氏「暇さえあれば飲んでるら」

マイ桶氏「♪飲める飲める飲めるぞぉ、酒が飲めるぞぉ、ってな」

私「酒はいいですよね。人を和やかにします」

米朝氏「雨降ったら、こっちに弁当よこしな、食ってやっから。雨降らねえかなあ」

スキンヘッド氏「八十になってもそんなに食欲旺盛じゃあ、しばらくくたばんねえら」

米朝氏「戦前生まれは強えだよ。終戦のときは小学校1年だったけんど(ということは、まだ八十前だ)、校庭にサツマイモ植えてな、お国のために毎日イモばっか食ってただよ。でっけえイモは嵩張ってばっかで味がねえけんど、当時は、ほれ、味より量だから、不味くたって何だってイモ食うしかなかったら。そんでわしらはみんな大きくなっただから」

私「大変だったですね。お陰で今こうしていい世の中で暮らせるようになったんですもんね。感謝しなくちゃ(と、うまくまとめたつもりが、まとまってない)」

もっともっと米朝氏から戦中戦後の話を聞きたかったが、米朝氏は午後7時ちょっと前に、ではお先にと風呂場を上がった。続いてマイ桶氏とスキンヘッド氏もほぼ同時に上がった。

私はそれから10分ほど遅れて上がったが、あやめ湯を出たら、縁台で先に上がった3人が建築現場の今昔を話していた。マイ桶氏は畳屋さん、米朝氏は大工さん、スキンヘッド氏はペンキ屋さん。マイ桶氏がまあ座れと腰をずらし、私に座るスペースを作ってくれたのだったが、私には途中から入っていける共通の話題がない。呼び止めてくれたご好意をありがたく思い、話を聞くだけのお付き合いを少ししてから、半額の弁当が売り切れるといけないのでと言ってその場を失礼したのでした。

みんな私より人生の先輩で、一緒にいると何だか心が和みます。今度、家を直す必要がある場合は(って、直す必要だらけのぼろ家だけど)、このお三方にお願いしようと思っています。人間、生きているといろんなご縁があるものですね。

写真は、充電式電気剃刀。

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これまでの電池の奴がとうとうイカれて今日買ってきた。1,580円。いかにもちゃちだけど、使えればいいんです。(あ)

タイムラプスは、9月9日(金)5:41〜7:46の伊豆長岡の空。

https://www.facebook.com/100001436582002/videos/1187092091348666/

2,995歩。