いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

林檎噛む歯に少年の蘇る

写真は、青森産りんご「サンつがる」。

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あやめ湯の帰りによく寄るスーパーで半額セールをしていたので買ってきた。6個で299円(1個は食べた。食べてから、おっ、写真を撮るんだったと気づいた)。
やや小粒なのは、先の台風に備えて早めに収穫したからだろうか。でもこの方が丸かじりするには程よい大きさで食べやすい。
私の小さい頃の食べ方は、皮のまま丸ごとがぶりとやるのが普通だった。8等分に切って皮を剥いて皿に載せてフォークで刺して、なんて食べ方はしない。そんな食べ方を知ったのは、小学校5年の家庭科の授業でだった。都会の人はみんなそうやって食べている、丸ごとかじるなんて、そんな下品な食べ方をしてはいけません。と、先生が言ったかどうかは覚えていないが(言うわけないだろ)、変に気取った食べ方に軽い反発を感じたことは覚えている。
私は青森県陸奥湾に面した半農半漁の村で生まれ育った。父は雇われ船頭として、知床で鮭漁の船に乗り秋田で鰰(はたはた)漁の船に乗った。母は山で畑を耕した。
畑は2箇所にあった。家から近い方が野菜をつくる畑で、遠い方がりんご畑。りんご畑といっても大した広さはなく、植わってあった木はせいぜい10本程度だったのではないだろうか。その畑で、母は大して儲かりもしないりんごをせっせと作り、リヤカーで農協まで運んだ。
桜が終わると、代わってりんごの花が咲き始める。リンゴの花は2〜3日であっという間に散り、結実の時期になると摘果(一つの実を残して後は全て取り除く)作業をしなければならない。そうしないと大きな実に育たないのだ。
摘果が終われば袋掛け。一つひとつの実に、虫に食われないよう袋を掛けていく。袋は新聞紙で作り、枝に掛けるために袋の口の縁に細い針金を入れる。これは子どもでも簡単にできる作業なので、よく(というほどでもないが)母を手伝った。
袋掛けの後は農薬散布。農薬散布は収穫まで時期を分けて複数回(標準で9回という)行われる。トラクターで他のりんご畑も同時に散布していたから、農協で日取りを決めて一気に行なっていたのだろう。りんごを食い荒らす害虫はともかく多く、農薬の助けなしには生産は成り立たないと言われる。木村秋則の「奇跡のリンゴ」の例もあるが、あれはまさに「奇跡」であって、一般的にはりんご栽培には農薬は付きものである。
私の家にはりんご畑はあったが、それこそ店に並んでいるようなきれいな形をしたりんごをほとんど食べたことがない。食べるのはもっぱら虫が食ったのとか、傷がついたのとか、落下して一部腐ったのとか、売りに出せないりんごばかりだった。売れるりんごは全て農協に持っていかれた。
スーパーで買ってきたりんごを齧りながら、家にりんご畑があった遠い昔のことを思い出していた。
絵は、長浜城跡の丘の上から眺めた景色。

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遠くに少し雲のかかった黒富士を描いてみたが、実際には、この日、富士山はお腹しか見えなかった。もし雲が取れたらこんな具合に見えるのかなあと想像して描いた。漁船も想像。写真では許されないが、絵なら許される。絵は想像力をたくましくして描くものだろうから。(あ)
タイムラプスは、9月8日(木)5:11〜7:36の伊豆長岡韮山方面)の空。
あやめ湯(19:33〜19:15)3→3人。

2,339歩。