いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

五十年経る島影や図画の夏

台風10号岩手県大船渡付近に上陸した。台風が東北太平洋側に上陸したのは観測史上初という。伊豆には多少の雨をもたらした程度で、風の影響はまるでなかった。
今回の台風は横殴りの雨でなかったせいか、心配した雨漏りはなかった。これでひとまず安心だけど、所詮、応急処置の雨漏り対策だから、次に横殴りの雨を喰らったときは無事で済むかどうかは分からない。全面的に直したいのはやまやまだが、予算の都合でそれができない。藤沢のマンションのリフォームもあって金は出ていく一方だ。貧乏暇なしとはよく言ったもので、あくせく働く割には実入りがほとんどなく、「…じっと手を見る」日々の暮らしである。人から羨ましがられる二居住生活だが、実態はかように厳しいその日暮らしなのである。ほとほと私は金に縁がないものと見える。
カミさんは私の顔を見るたびに、ああ、お金が、お金が、とつぶやく。私は聞こえないふりを装いつつ、貧乏神に付き合わされるカミさんも大変だなと同情するが、カミさんとすれば、同情がほしいのではなく金がほしいのである。
そもそも別荘を持つような身分じゃないのよね。食費、電気、ガス、水道、すべて二重の出費だもの、お金が貯まるはずないわ。ある日、カミさんはそう言ったものだ。そう言う裏に、たいした稼ぎもないくせに…という私への当て付けを嗅ぎとった私は、金なんてものは使わないで貯めったってしょうがない使って初めて価値があるんだと、ささやかな抵抗を試みるのである。そして、すぐさま伊豆へ取って返したいと思うのである。
経済的には恵まれないけれど、精神的には恵まれている暮らしだとは思っている。カミさんはどう思っているか知らないが、少なくとも私としては、やりたいことを思いどおりにやらしてもらっているという点ではありがたいと思っている。ありがたいというのは、ぶつくさ言いながらも私のわがままを許してくれるカミさんに対して、ということです。
苦労をかけ通しのカミさんに、おい、たまには温泉にでも行こうか、なんて言ってみたいが、言ってみたたところで、あたしゃ行かないよという返事が返ってくるに決まっている。映画「東京物語」のようにはいきません。カミさんはそういう人なんです、昔から。それが分かっているから私もあえて言わない。だいたい、これまで並んで歩いたことが一度もない二人だから、二人で仲良く温泉旅行なんて、まっぴら御免のあり得ない図なのである。
そんなカミさんは、はたして伊豆へ来てくれるでしょうか。
絵は、沼津市三津の安田屋旅館前から見た景色(写真は一昨日のブログに載せた)。
山の緑の描き方をYouTubeの動画から学んだつもりだったが、水彩画と淡彩画の違いなのかな、淡彩画に描いてみるとあまり成果が見られない。
左側に浮かぶ島が淡島で、絵だと何だか陸続きになっているように見えるが実際は繋がっていない。その背後の青黒い山が富士山。頭が雲に隠れて見えない。富士山を除けば、この景色、生まれ育った青森の景色によく似ている。まず、お椀をひっくり返したような島の形が「湯の島」そっくりで、右隣りのマンションが「裸島」(草木の生えない岩だらけの、位牌のような形の島。干潮時には歩いて渡れる)の見立てだ。湯の島と裸島はセットで小学生の頃から毎年のように描いた。夏休みの図画の宿題の定番だった。(あ)

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タイムラプスは、8月30日(火)6:37〜9:37の伊豆長岡韮山方面)の空。
あやめ湯(18:34〜19:08)3→2人。

1,684歩。