いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

水を得た子らの歓声プール満つ

学校のプールが始まった。初日の今日は、午前の開放はなく午後のみ。子どもたちは1時半からの開放が待ちきれない様子で、1時前にはもう水着に着替え始めていた。
 
今はどこの小学校にもあるプールだが、私が小学生の頃はもちろんそんなものはなかった。もっぱら海で泳いでいた。私が初めてプールで泳いだのは小学6年のときで、海から離れた津軽平野の小学校に通う同い年の従妹から「学校さプールできたはんで遊びに来いへ」と誘われて、プール開きの日に母親に連れて行ってもらったのだった。
 
海の水しか経験したことのなかった私には、飲んでもしょっぱくないプールの水がとても新鮮だった。また、当たり前のことだが、波のうねりや潮の流れがないことも、なるほどプールってものはすごいもんだなと妙に感心したりした。
 
実は私は、小学3年か4年の頃に浮き輪で足の届かないところまで泳いで行き、何かの拍子に浮き輪の空気が抜けて溺れかかったことがある。すぐ近くで泳いでいた近所の年上の人に助けられたが、そのとき、しこたま海水を飲んだものだ。しかし、それで泳ぎからしばらく遠ざかったかというとそうではない。逆に、浮き輪を使わないでも泳げるようになりたいと、それからも毎日のように海で泳ぎまくった。それで犬かきも平泳ぎもクロールも全部自己流だが、なんとか浮き輪なしで泳げるようになった。
 
そんなある日、村の青年団が主催する水泳大会があった。私には8歳上の兄がいて、その兄が青年団の一員として大会の運営に携わっていた。スタート台は舳先を沖へ向けた漁船の縁で、私は波打ち際で見守る兄にいいところを見せたくて、飛び込み方も知らないまま海へ飛び込んだ。そうして胸腹を海面にもろに打ちつけた。痛みをこらえて顔を上げて息継ぎをしたら、そこへ波のうねりの山がきて、これまたがっぽり水を飲む。レースの結果は5人中の何番だったかは忘れたが、一位でなかったことは確かです。
 
海で鍛えた泳ぎを従妹に見せてやろうと勇んでプール開きに出かけたが、プールは飛び込み禁止とあって自己流のクロールを見せるにとどまった。従妹は自分の通う小学校にプールがあることを自慢げに語ったが、私の泳ぎについては一言も語らなかった。
 
プールから上がって従妹の家に戻り、縁側で食べたスイカのなんと旨かったこと。そのとき従妹は「こして食べれば旨(うめ)はんで」と言って私の持ったスイカに塩をふりかけたのだ。そんなスイカの食べ方を初めて知った私には、なんだか洗練されて垢抜けた感じの従妹がとても眩しかった。
 
学年別の水泳帽をかぶりプールへと向かう子どもたちをフェンスの外から見送りながら、50年以上も遠い昔の、初めて泳いだプールのことを思い出していた。
 
写真は、夕方、藤沢の居酒屋で行われた宴席。久々に日本酒を呑んだ。
 

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今は奥さんと子どもと一緒にカナダに住んでいる平塚時代の元同僚が一時帰国するというので集った。当時の校長、教頭も参加し、現在校長をしている人、県教委に勤めている人などとともに当時の定時制の思い出を大いに語ったことだった。(あ)
 
タイムラプスは、7月28日(木)4:58〜6:29の伊豆長岡韮山方面)の空。
 
 
11,185歩。