大学時代の体育連合会幹事会のメンバーが渋谷に集った。一昨年は私の伊豆の家で、昨年は那須の貸別荘で、それぞれ一泊でやっていたが、今年は思い出深い渋谷でやろうということで7人が集った。幹事会のメンバーは全部で8人だが、どうしても1人に連絡がつかず、やむなく7人と相成った。
熊本で老舗の古書店を営むメンバーも3年ぶりに顔を見せた。熊本地震の翌日に「大丈夫か」とメールを送ったら「大丈夫じゃない」と返してきた奴である。店の裏の蔵が傾いたままで解体するしかないと思っているが、解体工事がいつになるか見通しが立たないと言っていた。熊本城の修復にも手が回らないくらい優先的に着工しなければいけない箇所が、まだ至るところにあるとのこと。復興にはまだしばらく時間がかかりそうだ。
そいつが名刺をくれた。名刺には◯◯商栄会会長とある。地元商店街の長として地域復興のために尽力しているらしい。通りからは熊本城が見えるという。その街のシンボル熊本城の、未だに手付かずの痛々しい姿を毎日見るのは辛かろう。なんとか皆の心をまとめ上げ、一刻も早い復興をと願わずにはいられない。
写真は、渋谷の並木橋周辺風景。
集合時刻よりもだいぶ早く着いたので、埼京線の渋谷駅新南口から母校の大学まで歩いてみることにした。当時は埼京線などなく、もちろん駅の改札もなかった。だから、大学時代に並木橋界隈を歩くことはほとんどなく、覚えているのは、並木橋と場外馬券売り場と氷川神社くらいなもので、あとは何がどこにあったかさっぱり覚えていない。
母校の大学から坂を下りきった谷に渋谷川が流れ、そこに架かる橋が並木橋である。
並木橋の上には緩やかに曲がって東横線が走っていたが、今は東横線も地下に潜り、かつての線路跡は更地になっている。ただ、並木橋を渡った左右にはまだ跨線の橋脚が残っていて、東横線に乗って大学まで通っていた頃を懐かしく振り返させる。
この並木橋のカーブを渋谷へ向かって曲がりきったビルの隙間から、寺山修司主宰の劇団「天井桟敷」の事務所が見えたものだ。マネキン人形の下半身を逆さにした独特の装飾はインパクトがあった。意匠はまるで異なるが、イメージとしてはこんな感じの建物でした。
その裏手に場外馬券売り場があって、体育連合会の一年先輩の会長に馬券を買いに走らされたことを思い出す。
氷川神社の鬱蒼とした茂みの中に土俵がある。授業を抜け出して雀荘へ行くときはこの脇を通り抜けたものだった。
雀荘はどこだったっけと探したが、とうとう見つけられず。このあたりだったかなあ。う〜ん、全く覚えていない。
そうこうしているうちに集合の時間が迫り、駅へ引き返す。
ああ、あれから40年。街は変わった。そして、かつての若者もたっぷり年を取った。
18,334歩。