いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

端渓のずしりと炎天にて売らる

昼、出勤前に狩野川公園へ行く。先月の骨董市で見つけた柱時計を、やはり買うことにした。ところが、前回、柱時計をずらり並べていた露店が、今回は来ていない。こういう骨董屋さんって、いつも決まって店を出すとは限らないんだね。ちょっと考えれば分かりそうなものなのに、頭が回らなかった。

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残念な気持ちで露店を覗き歩いていたら、ある店で硯が売られていた。値段を訊こうと思って手に取ったら、これが熱いのなんの。炎天にさらされて熱を持っていたんだね。あまりに熱くて落っことしそうになりました。

値段は1000円。硯の海の角に墨がこびりついていて、だいぶ使い込んでいるふうだったが、買うには及ばないと判断して隣の店に移る。

すると、そこにも硯があった。こちらも裸のまま置かれいて、持ったらきっと熱いだろうと思って触らなかった。すると、店主が寄って来て硯を手にして裏返し「これ、雨畑硯」と言う。見ると確かに「雨畑」と刻字されてある。そして、製造年だろう、「昭和十二年」とも刻まれていた。

「おいくらですか?」と訊いたら、「それはお客さんで決めてください」と言う。そう言われても、硯はピンからキリまであるから、何とも決めようがない。言いよどんでいると、すぐ隣の硯箱に目が行った。紫檀かな、立派な木箱である。

手に取ってふたを開けると、おお、なんと、これは見事な端渓ではないか。「こちらは中国のです」と店主。ん? 「端渓」と言わず「中国の…」とな? 「雨畑」と言って、なぜ「端渓」と言わない。ざっくり「中国の」と扱われては「端渓」も立つ瀬がなかろう。

この端渓硯についても、値段はお客さんが決めてくださいと、同じことを言う。とっさに私の頭の中で算盤が弾かれた。ヤフオクだったら1万円は下らない。

「これは、うちの古い蔵にあったものです。私は硯のことはよく分からないので、お客さんが、これなら欲しいと思った値段をつけてください」と言われると、こちらの眼力を試されている気がして身構えてしまう。

店主が雨畑硯だと言ったとき、その語調に、雨畑ってご存じですよね、というニュアンスを嗅ぎ取った。なのに、端渓硯では単に中国のとだけ言った。雨畑は知っていても端渓は知らなかったのだろうか。それともわざと知らないふりをして、こちらの出方を伺ったのだろうか。

私の頭の中では端渓=高価という式ができていたのだが、店主はそうでないと読んだ。そこで、値踏みした額をもごもごと告げた。…にせん、えん。

2000円なら買ってもいいと思った。柱時計の値段が頭に残っていたのかもしれない。店主はそれでいいと言う。

柱時計を買うつもりで出かけた骨董市だったが、柱時計ではなく端渓を格安で手に入れることができたのは、結果的にいい買い物をしたと思っている。

お金を渡すときに写真を撮ってもよいかと訊いたら、いやあ、それはと断られた。だから、店の写真はありません。(あ)

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タイムラプスは、7月2日(土)5:43〜8:25の伊豆長岡の空。

https://www.facebook.com/100001436582002/videos/1126809960710213/

あやめ湯(18:15〜18:55)2→2人。

2,676歩。