いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

毬栗の青研ぎ澄まし送り梅雨

昨日は初めて「当番」を担当した。「当番」というのは、学童が登所してから親が迎えに来るまでの、その日の全体の流れを指揮する人のことをいう。4月からの研修期間を終えて、ようやく私にも大役が回ってきたといったところです。
子どもたちは登所の際、「ただいま、◯年◯組 ◯◯です」と当番に言う。当番は学年ごとにファイルされた名簿に印を付けていく。子どもたちを一応並ばせるが、こちらがチェックを終える前に次の子が「ただいま」を早口で言うものだから、名前をはっきり聞き取れなかったりする。それでとっとと教室に入って行って制服(ここの小学校は制服がある)から体操着に着替える。そういうときは、一段落したところで下駄箱を見、外履きの靴が入っているかどうかで名簿に印を付け、教室を覗いて本人がいるかどうかを確認する。
おやつの時間を決め、おやつ後に紙芝居を読んでくれる子を決める。紙芝居の後、外遊びに出るか、室内で自由遊びをするかを判断し、次の動きを子どもたちに伝える。そして各班にテーブルの片付けをさせ、行儀の良い班から順に指名してトイレに行かせる。昨日はグランドに赤旗が立っていた(グランドがぬかるんで使用できない場合は学校側が赤旗を立てることになっている)ので室内で自由遊びをするよう指示した。
おやつの時間あたりからぽつぽつとお迎えがやって来る。その度におやつを中断して玄関に急ぎ、名前を訊いて子どもに帰り支度をさせる。向こうから「◯◯です」と子どもの名を言ってくれる人は助かるが、何も告げない人にはこちらから名を訊かなければいけない。恐る恐る訊くと、3ヶ月も経ってまだ覚えてないの? という顔をされる。それが嫌で嫌で…。その嫌な時間に3時間ほど縛られて、ようやく解放されたのが6時過ぎ。
正直言って、子どもと親の顔がまだ一致しません。ベテランスタッフは門から入ってきた車を見て、「◯◯ちゃん、お迎え」ととっさに言う。凄い、凄すぎると私はただただ感心するばかり。私も早くそうなりたいと思うが、こればかりはたぶん私には無理です。覚えられません。
写真は、結んだばかりの若々しい栗の実。

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実は実際にはこのイガイガの皮に包まれた中にあって、皮自体は学術用語で殻斗(かくと)という。へええ、知りませんでした。
ゴミ捨てに通る坂道にこの栗の木はある。隣は私が伊豆に来た頃からずっと空き家で、秋になるとこの家の敷地に皮の割れた実がぼこぼこ落ちる。道路にも、道路下の谷にも落ちる。それを遊びに来た孫と一緒に拾って散歩の土産にするのである。
この栗の木の樹齢は分からないが、幹が太くがっしりしているから、この住宅地が開発される前から山に自生していたものと思われる。自生した栗を芝栗というらしい。芝栗は実が小さいというが、しかし、ここの実は大きい。スーパーに出回るものと比べて遜色ない。
もう一箇所、南側の一軒先の空き地にも芝栗が自生している。が、こちらの実は小粒。
私は栗が大好きで、伊豆に来た当初は、庭木の一つを切り倒して替わりに栗の木を植えようと思ったくらいだ。しかし、ちょっと歩けば栗がそこここに落ちているわけで、それなのにわざわざ栗の木を庭に植えることはあるまい。だいたい栗を育てるほどに庭は広くない。植えるとしたらせいぜい茱萸(ぐみ)くらいでしょう。というわけで庭に茱萸を植えてみたが、これ、実をつけるどころか、まだ花も見ていない。本当に実が生るのかなあ。桃栗三年柿八年、おまけの茱萸はあと何年。(あ)
タイムラプスは、6月30日(木)5:29〜7:58の伊豆長岡の空。
あやめ湯(18:34〜19:08)1→2人。

3,923歩。