読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

子らの夢しかと見届け蚊遣香

写真は、放課後児童教室の玄関に飾られた七夕の短冊。

f:id:jijiro:20160627125900j:plain

サッカー選手になりたい、足が速くなりたい、バレリーナになりたい、花や草を売る人になりたい、お金持ちになりたい…。いろんな夢が短冊にこめられている。
短冊は全員が書いたわけではない。書くのを頑なに拒んだ子もいる。それはそれで仕方がない、ただ、皆の短冊が飾られているのに自分の子どものだけ飾られていないのを知ったお母さんはどう思うでしょうねと、あるスタッフは言う。自分も子どものお母さんであるその人の気持ちとしては、もしそうだったら寂しいと思って言ったのだろうけれど、お母さんの気持ではなく書くのを拒んだ子の気持ちはどうなんだろうと、私などはそっちのほうが気になる。
七夕飾りを作りましょうという話があったとき、一つ私も子どもたちと一緒に書いてみようかと思っていたが、「書きたければ、どうぞ」というスタッフリーダーの一言で気持ちが萎えた。実際、他のスタッフの誰もが書く気のないのが分かって書くのをやめた。
自分だけそう思っても周りがそう思わないんじゃやってもしかたがない。出しゃばるなと言われるのが落ちである。もっとみんなで愉しめばいいのにと思うのだが、そう思うのは私だけみたい。今の仕事がどうにも窮屈で仕方がない。
今日の午前中、大場の病院へ検診に行ったのだが、そのときかかりつけの女医に「学童のお仕事はどうですか?」と訊かれた。「ええ、おかげさまで時間が経つのも忘れるくらい忙しくやらせてもらって、おやつもばりばり食べています。ただ、私以外のスタッフはすべて女性で、男と女の考え方の違いと言いましょうか、私なんか、まあそれくらいはいいだろうと流すところでも、何やってんの、そんなことしたらだめでしょ! 先生、ちゃんと注意してくれないと困ります、と私も一緒に怒られたりするんです」と私が言うと、「でも、周りが女性だけだと、男の人って何かと重宝がられるんじゃないですか? 子どもたちだって慕ってくるんじゃないの?」とフォローしてくれる。
重宝がられているという実感はないが、子どもたちが慕い寄ってくるのは多少感じている。私が今の職場でできることといえば、その慕い寄ってくる子どもたちと輪になって遊ぶことと心得ているのだが、それがどうも許されない雰囲気が今の職場にある。相撲を取ろうとしても、怪我をさせたらどうするのという気持ちが先に立つからできない。一緒にかけっこをして子どもが転んで怪我でもしたら誰が責任とるの、という考えが先行する。それくらいやったっていいじゃないの、ということができない。安全に、安全に、ともかく何事もなく迎えの保護者に子どもを渡すことがモットーの仕事なのである。やれやれ。(あ)
あやめ湯(18:32〜19:08)4→2人。

5,907歩。