いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

渓流の女王隠して滝落つる

今日は仕事が休み。昨日、あやめ湯で元郵便局長から「天城ほたる祭り」の話を聞き、私もそのホタルを見に行きたくなった。
頭に思い浮かべたのは、修善寺から湯ヶ島まで歩き、河鹿の湯で疲れをほぐし、夕食にアマゴ料理を食べて、暗くなってから出会い橋でホタルを見る、というプラン。
ところが、湯ケ島発修善寺行きの最終バスが19:08で、のんびりホタルを見ていたんでは戻ってこれない。つまりは天城のホタルを見たけりゃ宿に泊まれということだな。バイクで行く手もあったが、暗闇の下田街道をどうも走る気がせず、そうこうしているうちに昼から雨が降り出して、せっかくのプランも結局おじゃん。
雨音を聞きながら、伊豆でアマゴ料理の食べられる店をネットで探したが、ヒットするのは例の「あまご茶屋」ばかり。アマゴ料理を食うのはどうもそこの店しかないようだ。他にもっとありそうな気がしていたんだがなあ。ちょっとがっかり。
でも関連で見たサイトに大見川、地蔵堂川(いずれも狩野川の支流)でのアマゴ釣りの記事が載っていて、それを読んだら居ても立ってもいられず、気がついたら湯屋グッズをリュックに突っ込んでバイクに跨っていた。

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ひとまずは地蔵堂川上流の万城の滝を目指す。ここではイワナが釣れると記事にあったからだ。

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ところが、滝への入口は午後4時で閉鎖。着いたのが午後4時15分。ああ、もう少し早く来るんだった。

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で、案内板の地図を見たら更に上流に滝があると知り、たぶんそこも閉鎖だろうなとダメ元でとりあえず行ってみたら、幸いにもそこは閉鎖になっておらず、滝の手前まで降りることができた。その滝の名は「カーテン滝」。まんまの名称やんけ、もっと気の利いたネーミングはなかったのかね。センスなさすぎ。

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でも川の流れ自体は、いかにも巨大イワナが潜んでいそうな雰囲気で、やばい、こりゃ渓流釣りにハマるかも、の予感をひしひし感じたのでした。

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ほれ、サワガニちゃんもご挨拶。

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ここは、家からバイクで40分のところ。伊豆って、すぐ近くにこんな自然がまだまだたくさん残っている。

大仁・一二三荘(17:34〜18:36)2→3人。男湯にお父さんと男の子、女湯にお母さんと女の子の4人が仕切り壁越しに会話のキャッチボールをしている。男の子が「熱っちち」と言えば、向こうでも女の子が「熱っちち」と言う。そこへお母さんも「熱っつ〜い」と加わる。こちら側のお父さんはシャンプーしながらくすくす笑ってそのやりとりを聞き流すだけ。どうやら、お父さんは一二三荘の湯に慣れているがお母さんと子どもたちは初めて、といったところか。
男の子がなかなか湯に沈めず足だけ入れている。「こっちは足湯みたいにしてるよ」と男の子が言うと、女の子が向こうで「あたし、肩まで入ったよ」と返す。続けて「熱いけど、気持ちいいわあ」とお母さん。「どれ、じゃあ、窓を開けて風を入れてやろう」と私が言って大きなガラス窓を半分開けると、男の子は、誰このおじさん(お爺さん)という顔をしながら肩まで浸かり「ママ〜、こっちも肩まで入ったよ」。
町の共同風呂の造りは、大抵、男湯と女湯の間の仕切り壁の上部が抜けている。それがために男湯と女湯の会話が筒抜けなのだが、これがなんとも男と女の機微を繋ぐ絶妙な空間になっている。繋がっていないようで繋がっている。そんな曖昧さが、ほっこりした安らぎというか大らかさというか開放感を生み出しているのだろう。
かつてはよく通い、今もたまに通う長岡南浴場は男湯と女湯を筒抜ける空間がない。温泉は温泉なんだけれど、どこかしら窮屈な感じを受けるのは、もしかしたらその空間がないせいかもしれない。(あ)
タイムラプスは、6月7日(火)5:11〜8:19の伊豆長岡の空。
2,482歩。