いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

雨蛙我が物顔の留守居番

今日の放課後児童教室は小学3年の子どもたち13名を担当。この子たちは校舎2階の空き教室を使う。教室といっても普通教室の半分の広さで、学校のPTA関係の資料置き場を兼ねている。床にはジョイントマットが敷かれ、折りたたみテーブルが6卓並んでいる。壁には片山哲書の扁額が飾られ、その下には毀たれた埴輪から一輪の花が咲き伸びている油絵が額縁に収まっている。
この教室に入ったのは今日が初めてだが、何だか雑然として落ち着かない空間という印象を持った。子どもたちはここで学校の宿題をし、おやつを食べ、本読みをする。そして、午後4時45分までには勉強道具を持って校舎から出て行かないといけないから、益ますもって落ち着かない。
放課後児童教室で校舎の空き教室を使わざるを得ないのは、放課後に行き場のない子どもたちが本館に収まりきらないからに他ならない。本館の隣に第二教室を増設してもなお間に合わない。校舎の空き教室を使わなくても済むように、市には何かしらの対策を講じて欲しいものである。これじゃまるで災害時の仮設避難所だ。
子どもたちは、放課後児童教室をどんな場所だと捉えているのだろう。
今日、学校の算数の宿題をしている子に解き方がわからないと言われアドバイスを与えていたら、そういうことを訊いてはいけません自分でやりなさいとベテランのスタッフが質問した子をたしなめた。アドバイスを与えた私が悪いと暗に注意されたようで気分を害した。どうしてアドバイスしてはいけないのだろう。解き方が分からないで困っている子にどうして手を差し伸べてはいけないのだろう。
4月最初のスタッフのミーティングのとき、それが教育委員会の方針だと聞かされてはいたが今もって腑に落ちない。質問は学校の先生にしろ親にしろ児童教室の先生にするな、とはいかなる魂胆か。成長したがっている子の足を引っ張っているとしか思えない。
スタッフが宿題を教えていけないのならば、昔の寺子屋のように分かる子が分からない子に教えることにしたらどうかと思うが、これまたいけないらしい。宿題は一人でやるもので友だちから教わってやるものではないとスタッフは注意する。そんなばかな。宿題は一人でやるものと、いつ誰が決めたんだ。友だち同士で教えたり教わったりする方がよほど互いの理解が深まるはずではないのか。
宿題を教えてもらえない、やってはいけないことが多くて自由がない、もっと自分の好きなことをやりたい、だけど家に帰っても親がいないから仕方なく放課後児童教室に来ている……。そう、多くの子どもにとって放課後児童教室は、親の仕事の都合で仕方なく来る場所なのです。
これまで4年生の子たちを見てきて、そして今日3年生の子たちの様子を見てそう思います。
写真は、玄関の明かり窓の桟にじっとしているアマガエル。玄関の鍵を閉めて仕事に出かけようとしたら、そこにいた。留守は俺様に任せろ、早く仕事してこいと言わんばかりの顔つきをして。(あ)
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タイムラプスは、5月12日(木)5:01〜7:05の伊豆長岡の空。
あやめ湯(18:34〜19:08)1→3人。

4,747歩。