いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

逆上がりできぬ子の夏帽子かな

昨夕は平塚の月例呑み会。これまでは平塚に住む人、3月まで平塚の職場に勤めていた人、このために伊豆から駆けつける私の3人だったが、昨日新たに一人加わった。この3月に管理職で退職し、4月からフル再任用で教壇に返り咲いた人である。
その人は私が最初に勤めた横浜の高校に、私より一年先に新採用で勤めていた。年齢は私より二歳下なのだが、私が大学で3年ほど余分にぶらぶらしている間にさっさと現場に出て活躍していた。数学の教員だがとてもそうは見えない。誰が見たって体育にしか見えない。部活動では野球部の顧問をしていて、こと野球に関しては、大学卒業時にプロ野球のドラフト候補にも上がったくらいの実力の持ち主なのである。
しばらく顔を見ずにいたが、去年、ひょんなことからFacebookでつながった。そしてFacebookを通じて、平塚で毎月これこれ3人で呑み会やってるんだよ、そうか3月には定年を迎えるか、ではめでたく定年退職となった暁には一緒にわいわい呑みましょうと、一声かけてはいた。それで先月の月例呑み会で平塚住人から、今度その人と会って飲むんだけどという話があって、ならば4月からその人も加えて4人で呑りたいねと昨日の呑み会になったのである。
話しだせば、呑んでの失敗談に事欠かなく、あのときはああだったこうだったと、次から次へぼろぼろ出てきてとどまるところを知らない。酒の席での失敗は数え切れないほどある私だが、昨日の人もなかなかどうして私といい勝負であることを改めて知った4月月例会なのでした。
写真は、仕事場での外遊び用の帽子。今日、辻堂のSPOPIAで買ってきた。2,150円(税別)。

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放課後児童教室では外遊びのときに必ず帽子を被らなければいけないルールになっている。帽子を忘れた子は外に出してもらえない。私以外のスタッフは全て女性でグランドに出るときは全員帽子を被る。女性の場合は紫外線対策ということもあろうが、男性の私は外で帽子を被る習慣がない。伊豆の家には農作業用に麦わら帽子を用意してあるが、まさか麦わら帽子を被ってグランドで遊ぶわけにもいかない。別に遊んでもいいのだろうけど、場違いな感じは否めない。
これまで被らないで済ませてきたが、これからは夏場へ向けて子どもたちの手前そうもいくまい。それで見切り品のセールワゴンを覗いたら手頃なのがあったので、これなら山歩きにもよかろうとこの帽子を選んだ。
考えてみれば、昔の子どもの遊びに麦わら帽子ほど似合うものはなかった。夏休みの絵日記にはワンパターンのように麦わら帽子を被った「自分」が描かれた。トンボ、セミ、カブトムシ、クワガタ、魚釣り、海水浴…、それらのシーンには決まって麦わら帽子の姿があった。
時代を経るにつれてそれらの野遊びは子どもたちの世界から徐々に消えた。それに伴って麦わら帽子も見かけなくなった。洟たれ小僧だった頃、炎天に飛び出して行こうとする私に、母はよく「霍乱気(かぐらんけ)起ごへばまいねはんで、シャッポば被って行げへ」(日射病を起こしてはいけないから、帽子を被って行きなさい)と声をかけたものだった。
昔はよかったと言うつもりはないが、今よりのどかでのんびりしていたとは思う。もちろん学習塾のようなものはなかったし(そろばん塾は隣の温泉町のバーの2階にあった)ピアノとかスイミングとかの習い事の教室なんてあるわけがなかった。「釣りキチ三平」の漫画家・矢口高雄は、すべては自然から教わった、自然が私の先生だったと言っている。野山を駆け回り、海に潜って貝を採った子ども時代は、私にとってもまさに自然が私の先生だったように思う。(あ)

6,254歩。