いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

雑巾の棚花びらを舞い込ます

放課後児童教室に勤務して1週間が経った。仕事の内容は大体見えてきたが、細かいところではまだまだ知らないことがたくさんある。ベテランのスタッフは窓の外に親御さんの姿を見かけると、◯◯ちゃん、お母さん(お父さん)が来たよ、帰りの支度して、ととっさに子どもに告げるが、私にはこれがまだできない。親子の顔が一致しない。
この仕事に携わる職員は全員一年契約の非常勤職員で、毎年4月1日に市の教育委員会から辞令が伝達される。昨年度までは職員のことを「指導員」と呼んでいて、今年度から「支援員」と呼ぶようになったそうだ。呼称が変更になった理由はよく分からないが、要するに、親御さんを差し置いてあまりでしゃばるな、子どもの成長のお手伝いをするくらいの立ち位置で接しろということなのだろう。
高校に勤務していた頃は生徒指導という分掌があったが、早晩これも生徒支援という言い方に変わるのだろうか。何でもかんでも「支援」という名に変えればいいというものでもないような気がするが、上層部の人はそう考えない。社会の教育委員会に対する風当たりが以前に増して強くなったということなのだろうか。悪いことをしたらペナルティを与えて正しく「指導」することのどこがいけないのか。そんな弱腰では生徒は学校の言うことを聞かなくなりますよ。
いかん、いかん、そういう発想がもはや時代遅れなのかもしれない。主体はあくまでも児童生徒であり親御さんであって学校や放課後児童教室はその支援に回るという発想をしなくてはいけない時代になったということか。理想はそうであっても、しかし現実問題として、果たしてそれで教育現場が成り立つかどうかという疑念は拭いきれない。
今や小学校1年生の教室でも、授業中にふらふらと席を立って歩き回ったり、クラスの子にちょっかいを出したり、教室から出て行ってしまったりするという話を聞くにつけ、暗澹たる思いがする。支援、支援というけれど、これのどこを支援せよと言うのか。支援以前の問題でしょう。しつけの問題でしょう。
4月1日の辞令伝達式後の打ち合わせでスタッフのリーダーは言った。私たちの仕事は子どもを預かったままの状態で親御さんに引き渡すことだ、と。ということは「支援」とは教室に来る子どもにではなく、子どもを預けて働く親御さんに対する「支援」ということになるか。そう考えると、なんだかなあという気がしないでもない。
写真は、放課後児童教室の本館。出勤してまずやることは、床をホウキで掃いた後にクロスモップで拭き、台ふきんでテーブルと棚を拭くこと。高校でクラス担任をしていた頃は始業1時間前に出勤し、教室の黒板を拭き、床をモップ掛けし、机を整頓したものだった。そんなことを思い出しながら、毎日子どもたちを迎え入れる準備をしている。(あ)

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8,415歩。