いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

春嵐湯気を真横に饅頭屋

勤務4日目。

今日は午前出勤。午前出勤のときは子どもたちと一緒に弁当を食べることになっている。それで、朝その弁当を作った。ご飯はレトルトの五目ご飯、おかずに鮭、鶏肉、昆布の佃煮、カニカマ、キクイモを並べた。弁当を包んだ後でレタスを入れ忘れたのに気づいたが、時間がなかったのでそのままバッグに仕舞う。

弁当を作るようになるとスーパーでの買い物も、自然に弁当のおかずになるような食材をカゴに入れるようになる。晩酌のつまみの他に、今まで買ったことのない梅干、煮豆、ミートボールなども買うようになった。

弁当の定番といえば卵焼き。小さい頃から卵焼きは大好物だった。それは今も変わらない。

故郷の青森では卵焼きのことを「卵巻き」と呼んでいた。溶いた卵をじゅっとフライパンに落とし、溶き卵を足しながら巻いていくから、確かに「焼く」よりも「巻く」と言ったほうが実感がこもる。ちなみにゴミは「捨てる」と言わず「投げる」と言う。放り投げる、ぶん投げるの響きがあって、これも実感。

卵焼きで思い出深いのは、やはり小学校の運動会の重箱だろうか。昭和30年代の小学校の運動会は村いちばんの大イベントだった。アイスクリンの屋台(いわゆる秋田で言うババヘラですね)も出た。

午前の競走が終わり、昼になると家族の待つ応援席の茣蓙(ござ)に座って重箱を広げる。重箱は三段の津軽塗りで、その一つの段に卵焼きが黄金の輝きでびっしり詰まっているわけさ。他にも煮しめとかカマボコとかあったはずだが、なぜか卵焼きしか印象にない。たぶんそれしか目に入らなかったのだろう。

遠足の弁当箱にも卵焼きはあったはずだが、こちらの方はあまり記憶にない。もしかしたらゆで卵だったかもしれない。ただ強烈に印象に残っているのは、胡麻をまぶしたおにぎりが新聞紙にくるまれていたことである。胡麻だと思った黒い点が実は活字のインクのひっついたものだったりした。今ではありえないことも昔は平気でありえたのである。便所の尻を拭く紙もおにぎりを包む紙もみんな新聞紙だったと言えば、今の人はそんな馬鹿なと驚くだろうか。

今回で二度目の弁当作りだが、まだ卵焼きは作っていない。次の弁当にはぜひデビューさせたいと思っているが、はてさてどんな具合になることやら。

写真は、家の前の道路に散り敷かれた桜の花びら。向かいのホテルの横に桜の木が3本あって、満開になったばかりの花が春の嵐に吹かれて家の玄関まで乱れ散った。夕方には一層風が強くなり、傘をさして歩けない状態だったので、無理せず今日はあやめ湯へ行くのを控えた。(あ)

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2,497歩。