いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

校庭に明治留めて彼岸かな

朝、小田原までお兄ちゃんを迎えに行く。昨夜藤沢に泊まった孫娘も一緒。午前9時過ぎに家に着くと娘と旦那はすでに仕事に出かけた後で、お兄ちゃんは独りスーパーマリオのゲームをして我々の到着を待っていた。

明日は湯河原でミニバスケの試合があり、朝一番で湯河原に行かなければいけないという。ならば今日一日小田原で過ごした方が明日の朝は楽だろうに、どうしても藤沢に泊まるんだと言って聞かない。お兄ちゃんとしては、妹だけ藤沢に泊まってずるいという計算があるらしい。

というわけで今日は孫二人の面倒を藤沢で見ることになった。小田原からの戻りに気の利いた玩具でも買ってやろうと湘南T-SITEに立ち寄ったが、孫二人はまるで興味を示さない。それで別の大型スーパーの玩具売り場に河岸を変えた途端に目が輝き出し、お兄ちゃんは四駆のラジコンを、孫娘はカラフルなメモ帳をゲットした。なんでメモ帳? 今学校でメモ帳の交換が流行ってるんだって。へええ、ツイッターのアナログ版ですかね。いろんなものが流行るもんです。

お兄ちゃんの四駆のラジコンは30度の斜度も上るというので、では小学校の滑り台で試してみようと、昼食後に二人を校庭へ連れ出した。ラジコンは2mほどぐんと上ったまではよかったが、その後タイヤがつるつる滑ってそれ以上上らない。それでもっぱら地面を走らせていたら、コントロール操作を(わざと)誤らせて、ラジコンを昨日降った雨の水たまりに突っ込ませた。水をかぶると走らなくなるよとあらかじめ言っておいたのに突っ込ませた。そうしたい年頃なんだね。それでラジコンが動かなくなった。本当に動かなくなって慌てたお兄ちゃんは、家へ飛んで帰り、電池を外し、タオルで拭いて、ドライヤーで乾かす。電池を新しいのと交換してスイッチを入れるが、それでも動かない。しばらく様子を見ていた私も、そこでおもむろに手を差し伸べる。やったことはドライバーでカバーを外して温風を吹き込んだだけ。これで動かなかったらご臨終と諦めるつもりでスイッチを入れたら、おお、なんと動き出したではないか。半べそのお兄ちゃんから「じいじ、ありがとう」と言われまんざらでもない私。

そこへ孫のママから、ママ友が家に子どもを連れて来ることになったので、藤沢に泊まらずに戻ってきてほしいという連絡が入った。なにそれ。カミさんはぷんぷんしながら、夕方、まだ遊び足りなそうな顔の孫を乗せて小田原へ車を走らせたのだった。

写真は、近所の小学校に掲げられたスローガン。この小学校の沿革を見ると、明治5(1872)年設立とある。その名も「明治小学校」。だから「明治の子」なのだが、地元以外の人からすれば「明治」を「明治時代」と捉える向きもあろう。そう解釈すると「明治の子」という表現も何となく時代がかってくるから面白い。

このスローガンを見て中村草田男の句「降る雪や明治は遠くなりにけり」を思い起こした。句は草田男が大学時代に母校の青南小学校(港区赤坂)を訪ねた時の感慨を詠んだ句とされる。母校というが、愛媛県出身の草田男はこの小学校に一年間しか在籍していない。雪の降る日にこの小学校を訪ねた理由は何だったのだろう。この日、20年ぶりに小学校の同窓会があったという解説をどこかで目にした気がするが、同窓会があったかどうかなんて、そんなことはどうだっていい。降りしきる雪(映像で見た2・26事件のイメージ)に、今や遠い昔になった明治という時代に想いを馳せる俳人の感性を思えばいい。そして「明治」を「昭和」に置き換えて、自分が通り過ぎてきた昭和という時代を、私はこの句を通して感慨深く胸に刻むのである。(あ)

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5,527歩。