いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

つくしんぼ学童保育道すがら

この週末はカミさんの仕事が休みだというので、では孫を伊豆へ連れて行くかという話になっていた。これはいい按配だ、餅搗きのリハーサルができると期待したが、藤沢に戻り着いたらカミさんが、小田原からは何も連絡がないと言う。連絡がないということは、親が子どもの面倒を見られるということだな、それはよかった。と思う反面、一抹の寂しさも覚える。
カミさんとしても二ヶ月ぶりの伊豆を楽しみにしていたのだと思う。たぶん土日は伊豆で孫の面倒をみることになると読んで二日間の休みを取ったはず。ところが肝心の連絡がない。まあ、しゃあないと漏らすカミさんの寂しさは私以上かもしれない。
孫の成長とともに、いずれ世話する機会がなくなっていくだろうことは分かっていたつもりでも、いざそうなってみると、やはり寂しさは禁じえない。これまで孫の世話を介して成り立っていたカミさんとの距離感も、いよいよカミさんと二人きりで老後を送るとなると、さてこれからはどういうバランスになっていくのだろう。
私なんかは好き勝手なことをしているから別に構わないが、カミさんに言わせれば、あんたはいいわよね好き勝手なことをして、となる。口に出して言わなくても顔がそう言っている。蓄えはない。それがまたカミさんをマイナス思考に導く。金は天下の回りもの、そのうち楽になるさとうそぶいても、ふんという顔をする。実際、これまで楽になったためしがないのだから仕方がない。貧乏もまた楽し、そう思えばいいじゃないかと私が思ってもカミさんは思わない。これが今のところの夫婦の距離感。
これで仕事をしないでぶらぶらしていたら何を言われるか分かったもんじゃない。一億総活躍社会と囃し立てられなくても、こちとら仕事をせざるをえない身の上だ(給料上げろ)。とりあえず向こう一年間の仕事を得て、カミさんの愚痴を聞かなくて済むのが何よりです。
タイムラプス(5:55〜7:26
砂絵は、夏目漱石。描いていて、意外に耳が大きいのに気づいた。目の表情がやはり難しい。

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写真は、狩野川土手の土筆。伊豆長岡駅へ向かう途中に生えていた。やはり暖冬の影響だろうか、生え出すのは昨年より1週間ほど早いような気がする。ならばワラビも生えてきそうなものだが、こちらはまだ家の庭にも管理事務所のある坂の土手(ワラビが群生するところ)にも出ていない。(あ)

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9,400歩。