いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

スープカレー啜るあの日の北の春

あの日、東日本大震災が起こったあの日から5年の歳月が流れた。テレビでは特集を組み、津波が襲ってきたときの様子を繰り返し流していた。風化させてはならない、決して忘れてはいけないという趣意で番組は進行し、あのとき体験したことを語り部として語り継いで行こうとする若者たちも紹介する。
そういう若者たちにはもちろん敬意を表するし、勇気ある決意を讃えたいと思う。しかし反面、それは決して忘れてはいけないことなのだろうかという思いも拭いきれない。ついさっきまで隣にいた家族が、恋人が、友達が、津波に飲み込まれて還らぬ人となった事実は、思い出すだに辛いことだろうと思う。しかし、そばにいながら助けられなかったことで自分を責め、そしてその責めを一生背負って生きるのはもっと辛いことではないだろうか。忘れることでその人の人生が続くのなら、私は忘れていいのだと思う。
風化させてはならない、決して忘れてならないのは、むしろ福島第一原子力発電所の事故でなければならない。使用済み核燃料の最終処分場をどこにするかの結論を見ないまま見切り発車した原子力発電のあり方でなければならない。原子力に頼らざるをえない経済繁栄が果たして必要かを考え直すことでなければならない。
そんなことを思う今日一日であった。
写真は、三島広小路にある「THEすすきの」のスープカレー。去年一昨年と三島に勤務していたとき、帰りにここでよく昼食を摂った。
午後4時に茅ヶ崎の歯医者に予約を取ってあって、伊豆の家を正午過ぎに出る。茅ヶ崎までは2時間もかからないのに、それでも少し早めに出たのは、久々に広小路のスープカレーを食べたいと思ったから。いや、三島田町スリランカ・カレーも捨て難かったが、雨が降りそうな怪しい空模様を考えると、三島駅まで歩く距離の短い広小路の方が都合がよかった。三島田町から三島駅まで歩くと32分、広小路からだと17分。
店に入ったのは午後1時半少し前だったが、20人ほど座れる席はほぼ満席で、相席になりますがと6人掛けのテーブルに案内された。一年以上来ない間にお客さんも随分増えたなあ。壁には日本ハムファイターズのユニホームが誇らしげに飾られ、その他至るところに北海道が色濃く出ている店である。
ここは夜になると居酒屋になる。一度、夜に行ってみたいと思いつつ、ついに果たせないまま職場が修善寺に移ってしまった。一昨年の暮れに呑み友のごいさんに声をかけて、実は店の前まで行ったことがあるのだが、あのときはたまたま貸切で入れず、やむなく伊豆長岡の天城地鶏の店で残念会をしたのだった。
これからも伊豆にいるのだから、別に行こうと思えばいつでも行けるのだけれど、一人だとどうも足が向かない。やはり温泉から上がって家で一杯というあたりに落ち着く。この店は、三島へ出かけたついででもなければ寄らない店になってしまった。(あ)

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16,348歩。