写真は、大仁の畳屋倉庫の小屋梁から私を見下ろす猫。堂々とした精悍な面構えである。家の庭に糞を垂れて行くでぶ猫とは顔つきがまるで違う。
私は犬も猫も、いわゆるペットというものを飼ったことがない。ただ、伝書鳩は飼ったことがある。
あれはいつの頃のことだったか、今でははっきり思い出せない。飼っていた期間はそんなに長くない。中学時代は休日も部活動で学校に行っていたから世話をする時間はなかったはず。だとすれば、飼っていたのは小学校6年のときあたりになるか。
記憶が断片的でひとまとまりに繋がらない。青森の駅前市場の中に伝書鳩専門の店があって、近所の友だちとその店に行って血統書付きの鳩を一羽買った記憶と、家と棟続きの豚小屋の上に鳩小屋を作った記憶と、雪が降ってきたからだろうと思うが、家の中に鳩小屋を作り直した記憶しかない。なぜ伝書鳩を飼う気になったのかとか、鳩が空を飛んでいる姿とか、飼わなくなった鳩がどこへ行ってしまったのかとかの記憶が欠落している。
今考えれば、家の中に鳩小屋を作るなんてもってのほかだが、当時はなんとも思っていなかった。親がよく許可してくれたものだと思う。いや、許可したのではない。親に相談もせず私が勝手に作ってしまった。よりによって鳩小屋を家の中に作るなんて、一体この子は何を考えてるのと母は思ったことだろう。しかし、そのことで母に叱られた覚えがない。鳩小屋に限らず、全体私は小さいときから母に叱られた記憶がないのです。
そのとき父が家にいたかどうかは分からない。当時父はサケ漁の雇われ船頭として知床に出稼ぎに行っていたから、鳩小屋を作ったときはたぶん父は留守だったんじゃないか。もし父がいたらどうだったろう。デレキ(火挟み)でこっぴどく叩かれただろうか、それとも小屋をたたき壊されただろうか。
家の中で鳩を飼ったのはほんの数日間だったように思う。鳩の糞は人間の体に悪いと母か姉かに言われたことは微かに記憶している。そのせいで病気になったら大変と、それで小屋を解体し、鳩をどうにかしたはずだが、その記憶がない。欲しいという人にくれてやったか、空に放してやったか、まるで記憶にないのです。それだけ伝書鳩に対しては執着心がなかったということですね。