いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

繭玉の枝しなやかにほの光る

写真は、「どんど焼き」の出番を待つやぐら。やぐらの組まれた広場は修善寺から狩野川の土手を歩いて帰る途中にあって、いつもはそこでお年寄りが元気にゲートボールを楽しんでいる。今日通ったら広場の隅に集まってお茶を飲んでいた。「どんど焼き」の準備を終えて一服つけているところだったろうか。

中央の竹にぶら下がった赤いのは何だろうと目を凝らしたら、達磨でした。達磨を燃やすと目が潰れるから燃やさないという土地もあるらしいが、伊豆では逆に縁起物として燃やすらしい。

私には小さい頃の「どんど焼き」の記憶がない。私が「どんど焼き」なるものを初めて知ったのは大磯の「左義長」である。そのときは平塚の海岸に近いアパートに住んでいた。下の娘が生まれる頃である。もっとも大磯まで実際に見に行ったわけではなく、新聞やテレビのローカルニュースで知っただけのことですが。

私はずっと「どんど焼き」は雪の降らない暖かい地方の行事だとばかり思っていた。ところが今日、何となく気になってWikipediaで確認したら、「どんど焼き」の北限は秋田県とある。隣の岩手県が微妙な位置だが、少なくとも我が故郷の青森県には「どんど焼き」の習わしはなかった。なぜだろう。同じ雪国なのに、なぜ秋田県青森県の境に線が引かれたのだろう。

どんど焼き」では正月飾りや書き初めを燃やし、その残り火で焼いた団子や餅を食べるという。「どんど焼き」の記憶はないけれど、繭玉を神棚に飾ったのなら記憶にある。田舎の実家では正月になると神棚に繭玉を飾った。神棚は日の射さない、昼なお薄暗い廊下の端にあって、繭に見立てた白い団子だけがほの明るく光っていた印象がある。松の内が過ぎて小正月になった頃、固くなった繭玉を薪ストーブで焼いて食べたのだったか。焼いたのは薪ストーブで、「どんど焼き」ではなかった。

東北の中でもなぜ青森県だけに「どんど焼き」がないのか。民俗学的にはどう解釈すればいいのだろう。柳田國男ならどう答えただろう。昔から津軽の人は、じょっぱりで反骨心が強くて大和中央集権に与(くみ)しない独特の文化を持っていると一般的には言われているが、それと関係があるのかないのか。もっと考察を深めれば一つの論文にまとまりそうな気がするが、私にはそんな余裕がない。誰かやってみませんか? (あ)

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14,356歩。