いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

テキーラの友遠方より来て柚子湯

目覚ましのアラームはいつも4時にセットしている。しかし、アラームが鳴る前に目を覚ますことが多い。夜は9時には大概寝てしまうから、朝3時だってばっちり目覚め爽やかなのである。年寄りは早起きだというが、早く寝るから早く起きるのが当たり前なのである。

そんなに早く起きて何をしているかといえば、前の日の寝るまでの一日を振り返り、その日に自分のしたこと、見たこと、聞いたこと、感じたことをブログに書いている。

ブログには身近なことしか書かない。だから、読んでくれる人が、どうでもいいようなことをぐだぐだ書いてあるだけでつまらないといった感想を持つだろうことは十分想像できる。しかしそれを承知の上で、それでも私は身近なことにこだわりたいと思う。それが私にとって生きることだから。世界で起こった出来事も身の周りで起こった出来事も、私には同じように重要なことだから。

井上陽水の歌に「傘がない」という歌がある。♪都会では自殺する若者が増えている…/ だけども問題は今日の雨 傘がない♪ 都会で自殺が増えている状況を憂える人と、傘がないことを憂える人とどちらが偉いか。あるいは難解な哲学書を読み続けることをライフワークにする人と、恋人からのプロポーズを待ち続けながら年老いる人とどちらが偉いか。私はどちらも偉いと思う。もともと人の生き方に優劣などない。生きること、ただそれだけで偉いと思う。

こんなことを書くつもりではなかった。何だか今日は変な気持ちだ。横浜から親愛なる呑ん友がテキーラを持って訪ねてくれたからか。たぶんそうだ。テキーラを呑みながら、いつしか話題が互いのブログのことになって、書いているときってどんなこと思ってる? 時間どれくらいかかる? 毎日書くことってそんなにないよね、てなことを話していたんだった。

それで、はて私は何で毎日ブログを書いているんだろうと改めて思った。そのとき私は、毎日書いてここまで来たらもう後へは引けないと答えたのだったか。それは、意地というよりも、今やブログを書くことが朝昼晩に食事を摂るのと同じように習慣になってしまったということのようだ。書かないと何かやり残した感が残り、気持ちが落ち着かないのだ。

だから私はこれからも毎日書き続ける。書くことがなくても書き続ける。たとえ読んでくれる人がいなくなっても、私という読者がいる限り書き続けようと思っている。

写真は、お土産にいただいたテキーラテキーラはこれまで何度か口にする機会はあったが、大概呑み会の二次会で呑むことが多く、じっくり味わって呑むという呑み方はして来なかった。今日はビールでうがいした後、舌にまとわりつく濃厚なカリブの味をたっぷり堪能できました。持つべきものは呑ん友です。グラシアス!(あ)

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湯ヶ島・河鹿の湯(15:12)3→3人。

2,859歩。