いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

「貸切」と息子の字にて忘年会

昨日はちと呑みすぎた。歩数計アプリを見たら、家に帰ったのが0:54になっていて驚いた。

昨日は午後1時半に餅搗きを終えて、そこから呑み始め、その後義兄に誘われるままに京浜急行の杉田へ繰り出し、終電近くまで延々10時間も呑んだのだった。

なぜ杉田? 実は杉田に長男の店があって、義兄はこれまで何度も行っているようだったが、私はまだ一度も行ったことがなかった。義兄は店に行ってきたといっては私に電話をかけてよこし、20分ほど感想を述べた後に決まって私に是非行ってやれと締めくくる。

義兄は昔からとても世話好きで、息子のことも就職の斡旋やら何やらでいろいろ面倒を見てくれたりしていた。こうと決めたら邁進する姿が、若い頃の自分によく似ているとも言っていた。その義兄から見て、私が息子の店に顔を出さないのはいかにも薄情と映っていたのかもしれない。

それで餅搗きの日が私を店に連れて行く絶好の機会と読んで、この日を手ぐすね引いて待ち構えていた節がある。ところが餅を搗き始めて間もなく、息子が先手を打って横須賀の家の電話に、今日は貸切と連絡してきた。わざわざ貸切だと連絡してくるということは、来てくれるなという意思表示だと私は受け止めたが、たとえそうだとしても義兄は行くと言って後へ引こうとしない。

重い気を引きずって店に行ってみたら、果たして店のドアには「本日貸切」と息子の字で貼紙がしてあった。店に行くまでは正直言って貸切は嘘だと思っていた。私に下手に気を遣わせまいと打った下手な芝居だと思っていた。しかし、実際は本当に貸切だった。私は貸切を疑ったことを恥じた。

厨房でパーティの準備に追われている息子に目で挨拶をして店を出る。なっ、一所懸命やってるだろ、あいつ、と店を出て義兄が言う。

義兄の言うとおりだ。よく頑張ってる。店は家賃も払えないような火の車らしいが、それでも自分で選んだ好きな道だ。まっしぐらに進んで行ってほしい。心からそう願ったことだった。

写真は、自宅マンション前の道路工事の看板。5年後、ここに横浜湘南道路のインターチェンジができる予定。昔、ここに牛小屋があって、そこの牛がビートたけしのバラエティ番組「オレたちひょうきん族」(1981年〜1989年)に吉田君として出演していた。苗字が同じなのでずっとそう思っていた。そうしたらそれは私の全くの勘違いで、実は動物タレント吉田君は千葉県東金市出身だと今日知った。まあどうでもいいような話ですけど。(あ)

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9,329歩。