いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

狩野川の北へ北へと小春かな

あやめ湯(17:42)4→5人。

写真は、狩野川の土手。秋口から仕事の帰りはいつもこの道を歩くようになった(雨の日を除いて)。職場から立花の家まで8.1km。歩く時間は、少し速足を意識すると80分、ゆったりペースだと90分といったところ。最初は歩くのは週1回でいいかと思っていたが、最近では勤めのある日は、週3日間すべて歩くようになった。健康のために歩くというのはもちろんあるが、それ以上に歩くこと自体が楽しいのです。

土手を歩いていると必ず誰かとすれ違う。そしてすれ違う誰もが例外なく挨拶をする。相手から挨拶をもらう場合もあれば私から声をかける場合もある。これが神奈川だとまるで違う。例えば藤沢の引地川の遊歩道を散歩していても、すれ違う人から挨拶されるのは皆無だし、私からも声をかけたりはしない。下手に声をかけると、何この人、という白けた視線が返ってくるに違いないと二の足を踏むのだ。

平塚の呑み友から先月の月例会で聞いた話。心臓に持病のある友達(私が茅ヶ崎に勤めていたときの同僚でもある)が、ある日、横浜駅西口で心臓発作を起こして倒れた。ところが人通りの多い場所であるにもかかわらず誰一人として声をかけてくれる者がない。それで意識が朦朧とする中で、自分のケータイで救急車を呼び病院へ運んでもらって一命を取り留めたという。その友達は、あのときこそ日本人の薄情を呪ったことはないと言っていたそうだが、その話を聞いて何とも寒々しい気持ちになった。都会の孤独はこういう我関せずの中に潜むのだと改めて思った。

何度も言うが、伊豆は挨拶文化が隅々まで浸透している土地柄である。小学生の小さな子も私のような「知らないおじさん(おじいさん)」に平気で声をかける。ひと頃、知らないおじさんから声をかけられたら逃げなさいという指導が一般的だったと思うが今は違う。少なくとも伊豆の場合は違う。逆に積極的に挨拶することによって心の壁が取り払われ、そこに生まれる心の通い合いが結果的に自身の身を守ることになるという発想があるのだと思う。事実、小さい子に声をかけられると、その子の健やかな成長を願う気持ちでいっぱいになるし、立派になって日本の未来のために、ひいては世界の未来のために活躍してくれるようにと、その爽やかな姿にエールを送りたくなるのだ。(あ)

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15,052歩。