いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

教え子の字の躍り出てわかし酒

12,854歩。

写真は、茅ヶ崎養護学校(今は特別支援学校)に勤めていたときに生徒が作った暖簾。みんなでフーテンの寅の自作映画を作ったときに店の暖簾として使ったものである。今日、物置の出入り口に垂らす古着はないかと探していたら、ダンボール箱の奥から出てきた。仕舞っていたことをすっかり忘れていた。改めて見ると、何とも味わいのある字の連なりである。

養護学校には3年間勤めていた。今から15年ほど前である。わずか3年だけの短い期間だったけれど、そこで過ごした時間はとても充実していた。やや大袈裟にいえば、教育の原点がそこにあるような気がした。生徒一人ひとりの今持っている力を分析し、どの力をどのように支援していくかを複数のスタッフでディスカッションする。お互いの教育論、方法論を闘わせる場はとても刺激的で大いに勉強になった。

3年目に、課題学習として1年間のプログラムを組めと言われ、それで取り組んだのが映画作りだった。スタッフは私も含め3人。私が脚本を書き監督もやった。登場人物は、寅さん、おいちゃん、おばちゃん、さくら、寺男、それになぜかウルトラマン。当時ウルトラマンに執心し、人形を肌身離さず持っている子がいて、その子に配慮してウルトラマンを登場させることにした。ウルトラマンのかぶり物もねぶたの要領で私が作った。

学校の敷地隣が川の土手になっていて、そこを江戸川に見立てて、例の「男はつらいよ」のオープニングシーンを真似て撮影した。また、近所に小さな祠があって、そこではウルトラマンが祠の裏から突如現れ、お参りをしている寅さんをびっくりさせるというシーンも撮った。台詞はすべてアフレコで入れたが、脚本はあって無きようなもので、当初の思惑とまるで違ったどたばた劇に仕上がった。

何とか仕上がった作品を卒業式後の謝恩会で上映したら、これが保護者に大ウケで、特に寅さんを演じた女の子が、兄貴ぃ〜と叫んで土手を走り去るシーンには大爆笑。コミュニケーションの苦手な子たちが映画作りを通してまとまったことが私には何より嬉しかったし、逆に生徒たちから教わることもたくさんあって、今では貴重な体験をさせてもらったと感謝しています。

そんな濃い思い出が詰まった暖簾をしみじみ見つめながら、教育とは何ぞやと改めて考えているところです。(あ)

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