いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

秋の宿流れる演歌ちゃんちゃかちゃん

今日はもともと、天気がよかったら念願の達磨山へ登ってみようと思っていた。それで藤沢で履いていたトレッキングシューズを伊豆へ持ってきた。

朝、2階に上がって富士山を見ると、濃い雲の上にひょこっと頭を突き出している。昨日の雨が大気の塵を洗い流し、くっきり鮮やかな富士山が見られると期待したが、厚い雲がすっぽり裾まで覆っていた。

洗濯機を回しながら山歩きの準備をする。準備といったってたいしたことはない。タオル、ポンチョ、帽子をボディバッグに突っ込むだけ。なんだ、それじゃバイクで病院へ行くのとほとんど変わらないではないか。

別に山歩きをなめているわけではないが、山歩き用のグッズで手元にあるのは今のところトレッキングシューズしかないので、正直いってこれ以上準備のしようがないのです。本格的な山歩きをするとなればいろいろ揃えなくてはいけないのだろうが、予算がないので今日のところはこれで勘弁。

洗濯物を干していざ出発。家の前からもう一度富士山を確かめたら、あらら、厚い雲ですっかり見えなくなってしまった。これだとせっかく達磨山に登っても、かの横山大観絶賛の富士山が見られないのではないか? そのことがちと気にかかったが、途中で雲が切れるかもしれないと思って、ともかく出かけることにした。

バイクで修善寺の「だるま山高原レストハウス」に向かう。雑誌に載っていたモデルコースだと船原峠から達磨山、達磨山から金冠山、そしてレストハウスでゴールとなっていたが、今日は足慣らしということでバイクを駐められるレストハウスから往復を歩くことにした。午前10時半、レストハウスの展望台から見る富士山はますます厚い雲に覆われて切れる気配がない。この時点で達磨山は断念した。金冠山まで行って引き返すことにした。

f:id:jijiro:20151103120135j:plain

f:id:jijiro:20151103105436j:plain

金冠山までの道は予想以上に歩きやすかった。何かゴルフコースの芝を歩いているみたいで(歩いたことはないが)、あるいはスキー場の林間コースを歩いているみたいで、足への負担をまったく気にせずに済んだ。乳飲子を抱きかかえて歩く若いお母さんもいるくらいだから、山歩きというよりほとんどピクニック気分である。

f:id:jijiro:20151103110022j:plain

f:id:jijiro:20151103111229j:plain

金冠山の山頂から富士山の方角を眺める。しかし依然として富士山は見えず。そのうち薄墨色の雲が俄かに山頂に迫ってきた。一雨来るかもしれない。こんな標高1,000mに満たない山でも、やはり山の天気は分からないものだと実感し、急いで来た道を引き返したら、レストハウスの空は嘘のように青く澄み渡っていた。

f:id:jijiro:20151103112550j:plain

達磨山はもっとしっかり準備をし、富士山のよく見える日に改めてチャレンジするとしよう。

あやめ湯(18:25)3→3人。私以外の二人が、スピーカーから流れる演歌に合わせて口ずさんでいる。一人で口ずさむのはよく見かけるが、二人揃ってというのはなかなか珍しい。といっても互いの歌に合わせることは一切なく、めいめいがめいめいの世界で口ずさんでいるだけなのだが…。この演歌、有線放送だとばかり思っていたら、ある篤志家の寄付によるものだという。桐のベンチも丸太をくり抜いた傘立てもみんな寄付。脱衣所の大きな鏡には明治時代に使われたような局番のない電話番号が書かれてあって、これももしかしたらどなたかの寄贈かもしれない。あやめ湯はこういう善意に囲まれた人情溢れる湯屋だから、体も心も芯まで温まるんですね。(あ)

5,791歩。