いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

文人の灯火親しむ宿ここに

芥川龍之介『歯車』の冒頭に、「僕」が知り人の結婚披露式に出るために東海道の停車場(たぶん藤沢駅)まで自動車を飛ばす場面がある。「自動車には丁度僕の外に或理髪店の主人も乗り合せてゐた。彼は棗(なつめ)のやうにまるまると肥つた、短い顋髯(あごひげ)の持ち主だつた」

ここに登場する理髪店は芥川龍之介がよく利用した店で、今も鵠沼海岸の商店街に残っているという。先週、江ノ島まで歩いたときに見損じていたので、どんな構えの店か今日行って見てきた。

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ネットに紹介されてあるレトロな店構えをイメージしていたが、寄る年波には勝てなかったとみえて今は3階建のコンクリート造りに建て替えられていた。古い建物は維持管理が大変だものね。残念だけれどしかたがありません。

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商店街を抜けて小田急線の踏切を渡り、そのまま湘南学園のキャンパス群を回って藤沢駅に出ることにした。『歯車』には「自動車の走る道の両がはは大抵松ばかり茂つてゐた」とあって、今もクロマツが風情を残すこの鵠沼松が岡を自動車は駅へ走っていったものと思われる。その足跡をなぞってみようと思った。

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それで、歩き出して気がついた。そうだ、旅館「東屋」のあった場所も確かめておくんだった。と、歩いてきた道を引き返す。すると見覚えのある車庫があった。埃だらけの黒いソファーベッドが放置されてある車庫…。なんだこの道は先週江ノ島に行くときに歩いた道ではないか。そうか、ということは先週は理髪店の目と鼻の先をかすめていたんだ。オーマイガッ。

旅館「東屋」は明治25年に創業し昭和14年に廃業した。営業年数は50年にも満たないが、明治大正昭和のそれぞれの時代を代表する多彩な顔ぶれが逗留した旅館として歴史にその名を刻んでいる。鵠沼市民センターでもらった「鵠沼郷土資料展示室だより」今月号によると、志賀直哉は明治40年の秋、武者小路実篤と連れ立って鵠沼を訪れ、明治43年創刊の「白樺」刊行の構想を得たという。その他逗留者は、宇野浩二大杉栄菊池寛久米正雄斎藤緑雨、里見弴、谷崎潤一郎徳富蘆花山本周五郎与謝野鉄幹与謝野晶子など、そうそうたるメンバーが名を連ねる。また、阿部昭など26人の文士文人たちのかつての居住場所を記した簡易地図も手に入り、これからは地図片手にそれらを探し歩く楽しみが一つ増えました。(あ)

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13,176歩。