いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

乙女ごとやや恥じらいて秋の富士

2,004歩。

材木屋の会長さんが一昨日、昨日と二日続けてあやめ湯に顔を出した。伊豆長岡の長(おさ)みたいな存在で自称80歳である。自称とは自分でそう言っているからだが、実は私が2年前にお世話になったときも80歳だと言っていた。80歳からは歳を数えるのも面倒くさいといったふうで、そんなことはどうだっていいじゃないかという雰囲気が漂っている。だから私も、2年前も確か80歳とおっしゃっていましたねとは突っ込まない。会長さんは80歳から先は歳をとらない人なんだと思うことにした。

2年前、六畳和室の南側にパーゴラを作ろうとしたことがあって、そのとき材木を買った店が会長さんの店だった。葛城山ロープウェイ駅近くにある。バイクで行って、車を運転できないので家まで運んでくれませんかと頼んだら、よしきたと二つ返事で引き受けてくれた。今若いのが出払っているから私が運んでやるよと言って、私を助手席に乗せて運んでくれた。ハンドルを握りながら、私は80歳で会長をやっているとそのとき言ったのだった。

一昨日あやめ湯で会ったときは私のことを覚えていないようだったが、昨日会ったときには、そうだったあのときの、と思い出してくれていた。私と会長さんが昔からの知り合いのように話をしているので、周りの人たちも私のことを興味深げに見ている様子が伝わってくる。無論私とて悪い気はしない。それにしても、人との結びつきはどこでどうなるか分からないものだとつくづく思う。

昨日の会長さんの賑やかな登場に、洗い場で背を向けていた人が振り返って会長さんに会釈した。その人はマイ桶氏と親しく話していたこともあって、私も顔だけは知っていた。会長さんは、おお、◯◯さん、長者番付に名を連ねる◯◯さん、あんたもう一度饅頭やんなよ、あんたが饅頭やんないと寂しいよと、冷やかしているのか励ましているのかよく分からないことを言う。◯◯さんとは、かつては饅頭激戦区の伊豆長岡で特に人気を博した老舗饅頭屋さんである(後でインターネットで知った)。今は店をたたんでしまって饅頭を作っていない。会長さんはそのことを心底寂しがっていたのだった。

会長さんが先に湯から上がり、ややあって私があやめ湯を出ると、入口横の縁台(会長さんが寄付してくれた立派な桐の一枚板)に腰掛けて、米朝氏、会長さん、番台のおじさんの3人が話し込んでいた。そこに私が加わる。会長さんの、腰痛がひどくなって名古屋の病院へ行ったら65万かかったとかいう話をしばらく聞いていたら体が冷えてしまった。それと察した会長さんは、まだまだ話足りなそうだったが、話を閉じてトラックに乗り込む。トラックには、その日収穫した野菜と、知り合いからもらったという冬瓜が積まれてあった。幌をわざわざ剥がしてそれを見せてくれるところがいかにも会長さんらしい。

写真は、夕焼けの富士山。家からコンビニに向かう坂の途中で撮った。これからの富士山は日に日にきれいになっていく。(あ)

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